九州鉄道大蔵線尾倉橋梁と廃文房具店 関連ブログ・参考リンク
http://kyushu-heritage.jp/map/04kyutetu_okura/04kyutetu_okura.html
茶屋町橋梁と同じく明治24年から20年間だけ存在した、九州鉄道大蔵線の貴重な遺構です。こちらも茶町橋梁と同様に「下駄っ歯」を特徴に持つ煉瓦アーチ橋ですが、驚くことに上には民家が建っています。実は橋の上には民家と大蔵線に沿う車道も通っているのです。煉瓦アーチ橋の上に建つ民家なんて、国内ではここだけかもしれませんね。こちらも北九州市の市指定史跡として、案内板が設置されています。
https://hitoritabikenkyu.com/ogurakyoryoato/
通常の道路に見えるが、ここは実は、線路の跡なのだ!町にすごく馴染んでいるのでこれが廃線跡なの?と思うかもしれないが、このモジャモジャハウスの下を見ると…。?!立体交差しているだと?!住宅街の中で立体交差するのは珍しい。今立っているここは、橋梁部分なのだ。
https://niemonbridge.com/fukuoka/yahatahigasiku/okura.html
№1,867尾倉橋梁2006.06.24北九州市八幡東区尾倉(おぐら)1丁目橋長:m橋幅:12.6m径間:6.2m拱矢:2.1m九州鉄道尾倉橋梁「この橋梁は明治24年(1891年)4月に開業した九州鉄道大蔵線の施設です。壁体は煉瓦の長手と小口を交互に積んだイギリス積み。煉瓦の小口を5段積みした弧型アーチで、アーチの迫台は煉瓦積みの上に花崗岩をのせた構造。北側は一段ごとに煉瓦を迫り出した意匠としています。これは同区内にある市指定史跡である茶屋町橋梁と同じ手法です。 九州鉄道株式会社は門司・黒崎間の鉄道敷設にあたって経営効果の高い海岸沿いを計画しましたが、陸軍省の強い反対にあい、小倉からは小倉北区清水、八幡東区茶屋町を通り、大蔵川の両国橋付近から平原小学校、前田小学校の北側を通過して現在の鹿児島本線に沿い、黒崎に至る路線に変更しました。のち明治35年(1902年)、12月戸畑間(現鹿児島本線)の開通、ついで同40年(1907年)の九州鉄道の国有化、翌41年(1908年)戸畑線の本線昇格と状況は変化し、一支線となった大蔵線は44年(1911年)9月廃線となりました。 市内には鉄道敷設当時の施設で残されているものは数少なく、この橋梁は本市の交通史上貴重なものとなっています。」平成7年3月北九州市立平原小学校80周年記念事業委員会前方に見えています、上は道路になっています。右方向から通り過ぎるとき、地図ではこの辺りなのですが、それらしきものがなく、立体交差しているのに気づき、東側から回り込んで来ました。下駄歯は健在内部西側アーチ迫台の花崗岩
https://x.com/kaname30577122/status/2009580033707512038?s=46&t=Ogj-508sJyvaF_3__D1rsg
明治の廃橋梁の上に建つ住宅と廃店舗が芸術点高過ぎません?
https://x.com/zsb0nyff3136459/status/2009894476089831816?s=46&t=Ogj-508sJyvaF_3__D1rsg
昨年秋に観光で巡ってきましたトンネル横の廃屋は元文房具店だと地元の方に聞きました中を見ると当時のものがちらほら残っていて所有者は現在いないのに、中の壁掛け時計だけが動いていました
https://x.com/urbex_34/status/2000888435092152563?s=46&t=Ogj-508sJyvaF_3__D1rsg
廃線の橋脚跡に載っかるように建った廃屋。
https://x.com/nori7770/status/1583401205589475328?s=46&t=Ogj-508sJyvaF_3__D1rsg
北九州市八幡東区 : 九州鉄道尾倉橋梁住宅街に突如として現れるイギリス積み煉瓦のトンネルは、明治24年に開通した九州鉄道大蔵線の遺構。現在橋の上は道路になっており、民家も並ぶ。モジャッてる方のアーチがギザギザなのは、いずれ拡張することを予定してものもだったが、明治44年に廃線となる。