明延鉱山 概要・歴史
日本一の錫鉱山
明延鉱山(あけのべこうざん)とは、兵庫県養父市にあった鉱山。スズ、銅、亜鉛、タングステンなどが採掘され、特にスズは日本一の鉱量を誇っていた。神子畑銀山・加盛山鉱山とも呼ばれる。
採掘の歴史は平安時代初期の大同年間に遡るという。近代に入り、1868(明治元)年に生野銀山とともに官営となり、1896(明治29)年に三菱合資会社に払い下げられた。
1909(明治42)年に明延で錫鉱脈が発見されると日本一の錫鉱山となり、1919(大正8)年には神子畑選鉱所が完成。1929(昭和4)年に明延〜神子畑間(約6km)をつなぐ明神電車が開通。
生産量のピークは戦時中から1951(昭和26)年頃で、プラザ合意後の急激な円高に伴う銅、亜鉛、スズの市況の下落により、大幅な赤字を計上することとなり、まだ採掘可能な鉱脈を残して、1987(昭和62)年1月31日午後11時20分の発破を最後に、同年3月をもって閉山した。
明延鉱山探検坑道(世谷通洞坑)が整備され、毎週日曜日は予約なし、他は予約することで坑道見学ができる。1988(昭和63)年に閉校した明延小学校を転用した養父市立あけのべ自然学校にも探検坑道がある。
あけのべ自然学校付近にはレトロな家屋の立ち並ぶ街並みがあり、見事な看板を備えるタバコ店などが見られるほか、山神宮跡、第一浴場を改装した資料館「明延ミュージアム」、明和寮解体跡の石垣、明延協和会館などがある。明延協和会館は娯楽集会施設として1931(昭和6)年に開設、1957(昭和32)年に鉄筋コンクリート造2階建てに建て替えられたもので、収容人員1150人の大型施設だった。隣接する「あけのべ一円電車ひろば」では明神電車の客車「くろがね号」が動態保存されており、毎月第一日曜日には「一円電車体験乗車会」が行われている。
北星地区には木造の北星長屋と鉄筋コンクリートの北星プレコンがあり、あわせて北星社宅と呼ばれる。1933(昭和8)年から1938(昭和13)年にかけて北星西部に14棟の長屋が作られ、そのうち4棟が残っている。またプレコン団地は1954(昭和29)年に建設され、比較的近年まで居住者があったらしい。北星長屋の近くには北星ガソリンスタンド跡が残っている。