新梨子油力発電所 関連ブログ・参考リンク
http://ameblo.jp/6blogs/entry-10906353862.html
2011年6月5日 約1年振りに来ましたよ、足尾銅山系の遺構としては素晴らしい物件と言える通洞動力 所・新梨子油力発電所の再訪です。2つの廃墟が混同されてますがコンクリート製の 建造物が新梨子油力発電所跡、レンガ造りの建造物が通洞動力所跡
http://ameblo.jp/6blogs/entry-10531936561.html
2010年5月13日 栃木県足尾町│通洞動力所・新梨子油力発電所. 滅びの美学 [ 廃墟
http://blogs.yahoo.co.jp/ruinsrider/33883287.html
2008年1月15日 ここの新梨子油力発電所も前回は中に入らなかったので、今回はちゃんと確認してき ましたよ~♪ 大正4年に建設され昭和29年に 廃墟は危険なのでオススメはしません が、もし行ったらテンション上がりまくりですね! 私も4.6枚目の写真は
http://www.nikko-ashio.jp/heritage/douryoku/shinnashikoyuryoku.html
新梨子油力発電所 -解説-. 重油を燃料とする発電所で、非常用電力供給設備として 大正4年に建設されました。出力1000kWは当時としては最大規模の 新梨子油力 発電所の画像. 新梨子油力発電所に関する画像です(クリックで拡大). 新梨子油力発電 所
http://www.koueisyasin.com/portfolios/docu/09/tusi01.html
09年撮影。 隣接しているので新梨子油力発電所と通洞動力所の二つを一つの枠で紹介させていただきます。 ここは通洞変電所、新梨子油力発電所、通洞動力所と3つの施設が隣接して建っています。 新梨子油力発電所は大正四年に建設され重油を燃料
http://haikyotabi.blog33.fc2.com/blog-entry-81.html
2011年12月8日 足尾の歴史を物語る遺構は多数存在するが、その中でも通洞動力所の隣に位置して いるのが、この『新梨子油力発電所』である。 この廃墟は重油を燃料とする発電所であり 、非常用電力供給設備として大正4年に建設されたようだ。当時として
http://syoukanokaze.blog97.fc2.com/blog-entry-143.html
2012年1月29日 倒壊した建物のほうへ抜けると、目的のものが見えてくる。 P1290244.jpg これが新 梨子油力発電所。 P1290245.jpg そばには壊れた車が。 形からして相当古そうだ。 P1290246.jpg 廃墟ならではの古さと寂しさを伺わせる窓が出迎えてくれ
http://blogs.yahoo.co.jp/ruinsrider/28727826.html
2009年6月9日 日本各地の廃墟・廃校・観光スポット・工場夜景等を紹介していきます。 足尾銅山・新 梨子油力発電所跡 発電所で、大正4年に通洞鉱山の非常用電力供給設備として 建設され、出力1000kwは当時としては日本最大の油力発電所でした。
http://syoukanosora.blog42.fc2.com/blog-entry-350.html
まあそれはおいといて、今回見に行ったのは新梨子油力発電所。名前のとおり発電所ですが、その歴史は古く中は発電所のイメージとは程遠い感じでした。どちらかというと工場の内部のような感じ?通洞動力所という建物がすぐ横に隣接していて、今回はそれとセットで撮影を行いました
http://ameblo.jp/woncul/entry-10851994076.html
足尾銅山の通洞選鉱場の目の前にある、新梨子油力発電所の廃墟。「油力」とあるとおり、重油を燃料にした、火力発電所だ。大正4年(1915年)建造。出力1000kw。昭和29年(1954年)に廃止された。黒と緑の模様は、第二次大戦中に爆撃を避けるためのカモフラージュ
http://showaspotmegri.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/2-fa3c-11.html
2014年12月2日 トロッコ電車に乗っている時に気がついたのですが、敷地の脇にずいぶんと迫力のある廃墟らしき建物が見えます。 た物件のようですね。名称は「通洞工場」或は「新梨子油力発電所」らしいですが、通洞工場の方が信憑性が高そうでした。
http://ameblo.jp/aru-king/entry-11286355182.html
ちなみにこちら、自分が一番行ってみたかった、現在は廃墟となっている新梨子油力発電所です。戦時中に敵陣からの空襲から身を守るために塗られた迷彩柄が、現在でも残っているというツワモノでした。神戸駅(ごうどえきと読みます)で、お弁当を作っていたおばちゃんに押し売られ
http://flarestack.blog99.fc2.com/blog-entry-84.html
廃虚ネタ。栃木の某有名鉱山の発電施設。撮影したのは結構前になります。入れるとは思ってなかったのでとても嬉しかった記憶が・・・こういう古い発電施設は機械の具合がとてもよい。ディスイズ廃墟つうか、まさに廃虚美。威厳があります。鉄はいいね。鉄は。豪快なタービン。二機
http://blog.livedoor.jp/kurobee_ruins/archives/8680297.html
新梨子油力発電所 2008年9月13日、11月22日、2009年1月2日、10月13日、 2011年10月10日、2013年10月12日、2014年10月29日探訪。 大正4年、足尾銅山の非常用電力供給設備として設置された重油発電所。
http://blog.goo.ne.jp/suzukisyoukai/e/4e6bbfb471e5c7db4d28382d645e8a63
閉ざされた門扉の奥に眠る怪しい建物。 あまり聞き覚えのない「油力発電所」だそうです。 謎めいた、神秘的な、退廃的な・・・ぴったりくる言葉がなかなか見つからないのですが、そういう美しさを廃墟に見いだしているのに
http://grandbleu.blog32.fc2.com/blog-entry-3272.html
おぉ、間違いなくこの廃墟は産業遺構。通洞変電所は現在も現役、こう見えても。その横のレンガ造りの廃墟は、通洞動力所。削岩機の動力源である高圧
http://tekeri.blog.fc2.com/blog-entry-39.html
栃木県足尾銅山桐生駅からわたらせ渓谷線で通洞駅へこの旅行時まで足尾銅山って物凄い山奥にあるのかと思ってましたが電車でこれるんですね、
http://grandguignol5648.blog85.fc2.com/blog-entry-269.html
八月のお盆に行った足尾銅山に関する産業遺産。記事を書こうと思っていたのだが長い間忘れていた。時間・体調・精神共に余裕が無く満足出来る探訪では無
https://departure.amebaownd.com/posts/5126725
足尾銅山関連施設。重油を燃料とする発電所で、非常用電力供給設備として大正4年に建設された。当時としては国内最大規模の出力を誇った。※この写真は隣接する通洞動力所昔は空襲で被弾しないよう、壁に迷彩塗装が施されていた。今でもうっすら見える。この窓の輝きは、遠目から