三井山野炭鉱 関連ブログ・参考リンク
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/52.html
先日小舟坑を投稿したので関連して...晩秋の廃鉱を再訪前回投稿したこの炭鉱跡、今回はちゃんと許可を得て旧鉱業所に残る建屋や遺構を撮って来ました。*Part1も参照最初に1)廃屋内部に入らない事2)資材置き場に立入らない事(奥のクレーン機材置場)3)ボタ山に登る
http://hibiki15.blog.so-net.ne.jp/2008-07-23
筑豊炭田の中にある稲築町の練習坑道です。炭鉱が盛んだった筑豊には炭鉱で作業する新米鉱員や災害救助訓練用に作られた練習用の坑道があったようです。以前、同じ筑豊の直方市にある練習坑道の公開があったので紹介しましたが、今回はかなりマイナーな山野炭鉱の練習坑道です。正
http://blog.kyushu-heritage.jp/?eid=737580
小舟鉱業所新坑からすぐ近くの所に、稲築町(現・福岡県嘉麻市)町制40周年記念公園があります。小高い丘全体が公園になっており、その丘の麓に三井山野鉱業学校の練習坑道が残っています。練習坑道の入口は、雑草に埋もれるように遊歩道の脇にありました。脇には簡単な説明が書
http://blog.livedoor.jp/yung928-archive/archives/20049795.html
福岡県嘉麻市平にある旧稲築町の町制40周年記念公園という場所に、鉱業学校の練習坑道が残ってるという噂を聞いて、先日、行ってみました。旧稲築町は僕の住んでいた旧穂波町の隣町で、一時期働いていたこともあって、けっこう詳しいつもりだったんですけど、この町制40周年記
http://keitandan.web.fc2.com/40yamanokougyou-school.html
筑豊に残る練習坑道を探れ!旧稲築町(現嘉麻市)にある「稲築町制40周年記念公園」という、そのまんまのネーミングの公園内に旧三井山野鉱業学校練習坑道がひっそりと残っている。小高い丘の麓にある怪し気なコンクリート建造物は説明板が無ければその正体は判らないであろう。
http://hasiru.net/~maekawa/mine/yamano/yamano2.html
三井山野炭鉱その3福岡県嘉穂郡稲築町宮地75年の歴史を持つ三井山野炭鉱は昭和48年3月30日閉山された。その間の昭和40年6月1日、山野炭鉱ガス爆発事故があり、237名の死者と27名の一酸化炭素中毒者を出している。その2年前の昭和38年11月10日、三井は、福
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/18.html
嘉麻市鴨生(旧稲築町鴨生)の稲築東小学校付近にあった炭鉱。(三井鉱山㈱→山野鉱業㈱昭和48年閉山)昭和40年6月1日ここでガス爆発が発生し、237名が亡くなるという悲惨な事故があった。現在鉱業所の設備などはほとんど解体・整地されているが、第一竪坑櫓跡周辺には当
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/100.html
トライスター様からの情報による物件が続きます三井鉱山山野鉱業所、後に第二会社山野鉱業三井鉱山としては1963年9月30日一旦閉山。その後は第二会社山野鉱業として1973年3月31日まで操業し閉山。パート1はこちらパート2はこちらまた、小舟坑も三井山野鉱業所第三
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/436.html
山野鉱業所の追加分です以前の投稿の続きみたいな今年の春先に帝王さまと一緒に回ったときのやつで帝王さまが投稿したので安心してほったらかしになってた分(^^;まずは...山野第一竪坑跡地何かがポツンと立ってるあたりが坑口付近足元にはH鋼もある多分建屋の柱か何か用だ
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/126.html
山野第一坑・山野第二抗口ノ春に開坑→(後にこの炭鉱は筑前山野駅を積出駅とする日本炭業新山野炭鉱となる。)明治39年12月鴨生東部丘陵地帯(現在の鴨生地区)に上石累層採炭のため、鴨生五尺層沿層斜坑として鴨生坑開坑。→山野第三坑漆生丘陵地帯(現在の漆生地区)に竹谷
https://hasiru.net/~maekawa/mine/yamano/inatiku.html
三井山野炭鉱 その1 福岡県嘉穂郡稲築(いなつき)町 かつて三井山野炭鉱で賑わった稲築町の人口は2004年11月末日現在で約2万人。しかし、明治31年に三井山野炭鉱が開坑され、「石炭」が「黒ダイヤ」ともてはやされていた時代、人口も4万6千人を越えていた。その三井山野炭鉱も昭和48年3月閉山。かつての賑わいは稲築町から遠ざかって行った。JR後藤寺線 下鴨生駅(2000年3月27日撮影) 「下鴨生」と書いて「しもかもお」と読む。かつて炭鉱で栄えた筑豊地方の栄枯盛衰を見ているような木造駅舎である。後藤寺線は、筑豊本線・新飯塚駅~日田彦山線・田川後藤寺駅間を結ぶ総延長13km余りの非常に短い路線で、列車は1時間に1本程度しかなく、現在無人駅となっている。昭和31年に建設された。旧三井山野炭鉱社宅案内図(2000年3月27日撮影) 稲築町平に所在する旧三井山野炭鉱社宅案内図。現在は町営住宅として活用されている。同案内図の上部左寄りに「プラスチック工場」と記されている所があるが、ここに「旧炭鉱職員クラブ」があった。五坑鑛夫倶楽部(2000年3月27日撮影) この旧炭鉱職員クラブは「五坑鑛夫倶楽部」と呼ばれ、炭鉱の従業員の福利厚生施設(娯楽施設)として建てられたもので、踊りや芝居などが行われていた。 三井山野鉱業所発行「山野」第38号(昭和4年6月15日付け)に、次のとおり「五坑鑛夫倶楽部新築」の記事が掲載されている。 【本 館】木造平家建洋風 屋根は黒色石綿スレート葺 壁内部腰廻り竪羽目ペンキ塗 大壁及天井とも木摺漆喰仕上外部見打ちペンキ塗 【附属家屋及便所】木造平家建和風 ◎建 坪 総計86坪57(本館:64坪75、附属日本間:15坪 附属便所 6坪82) ◎工 費 総額8100円 建築にあたっての工夫として「内部の構造については、舞台に一段と手を尽くし、イルミネーションにはシーリングライトに加うるに青赤白の三色ボーダーライト以てし、これらを自由に切り替え得る様スイッチの装置を施し、光度及び色合いを調整して常に舞台に現れる場面に適当した光をなげるよう・・・。」と記載されている。 なお、昭和10年2月には、倶楽部隣接の地に図書館が新築されている。図書館は洋風ペンキ塗りのスマートな建物で、1階23坪25、2階20坪。読書室は、15畳の日本間で床の間には違い棚をもち、広縁には安楽椅子が設けられるなど、気分良く閲覧されるように工夫されていた。(2004.12.15 稲築町役場)(2000年3月27日撮影)(2000年3月27日撮影)(2000年3月27日撮影)2004年10月末頃、前記炭鉱職員クラブは取り壊された(写真提供:奥永さん)。BACK NEXT