廿世紀浴場 関連ブログ・参考リンク
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2004年12月18日 日本堤という地名は、江戸幕府が元和6年(1620年)に利根川、荒川の洪水から下谷・浅草の低地帯を守るため築いた堤防の名前に由来している。堤防の長さは聖天町あたりから下谷三の輪町に至る長さ十三町余りと言われていたことから、ツ黴
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廿世紀浴場所在地:台東区日本堤1-34建設年:1929(昭和4)構造・階数:木12007年末に廃業、2009年に解体Photo 2008.2.17 日本堤界隈は全く馴染みのない街だったが、この銭湯を見るために三ノ輪から歩いて行った。 東京の銭湯は寺院建築のようで「宮型造り」などと呼ばれる外観のものが多いが、ここはなんともモダンな外観。アールデコ風銭湯などとして紹介されることも多かった。鶴の湯や松の湯など、和風の名前が多い中、二十世紀を名乗っていたのも珍しかったのではないだろうか。 廃業後、しばらくはそのまま残っていたが、2009年5月頃に解体された模様。
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Go to English page廿世紀浴場(廃業)(Nijisseikiyokujou: closed down) 日本堤という地名は、江戸幕府が元和6年(1620年)に利根川、荒川の洪水から下谷・浅草の低地帯を守るため築いた堤防の名前に由来している。堤防の長さは聖天町あたりから下谷三の輪町に至る長さ十三町余りと言われていたことから、約1.5㎞であったと推測されている。堤は二条に造られ、二本堤と書かれたと言われ、これが日本堤になったと考えられているが、日本六十余州の大名が造ったので、日本堤と言ったのだという説もあるらしい。 さて、さて、今回紹介するのは、台東区日本堤にある銭湯「廿世紀浴場」である。「廿世紀浴場」と書いて「二十世紀浴場」と読む。その名前も十分にユニークであるが、建物の建築様式は名前以上にユニークである。 廿世紀浴場が造られたのは昭和4年(1929年)。まさに、東京では破風造りの銭湯の建築ラッシュが続いていた頃である。そんな頃に廿世紀浴場のオーナーはどうしてこのような銭湯を造ってしまったのか。他人の真似をしたくなかったのか。誰もがあっと驚くものを造りたかったのか。よほど洋風のものが好きだったのか。 理由はともかく、20世紀の初頭に、「銭湯とはかくあるべき。」と考えたオーナーが、このような先進的かつ冒険的な銭湯を造った勇気に、惜しみない賞賛の拍手を贈りたいと思う。 廿世紀浴場は、一見すると到底銭湯とは思えない面構えをしている。入口に暖簾がかかっていなければ絶対に銭湯には見えない。むしろ、昭和初期に、金持ちの文化人達が、社交の場として集まった集会所のようにしか見えないのである。銀座にある社交クラブ「交詢ビル」のような、と書けばちょっと大げさだろうか。 この廿世紀浴場の建築様式は、建築用語で言えば、「アールデコ」と呼ばれている。アールデコとは、簡単に言えば、直線と円弧をうまく組み合わせた連続模様、幾何学模様を主体とした様式であり、ニューヨークのエンパイアステートビルが代表的なアールデコの作品だと言えば、いかにもわかりやすく、そしていかに廿世紀浴場がすごい建築であるかが容易に...ュ瓦と呼ぶらしい。確かに、アールデコに和風の瓦の組み合わせではどうしようもないだろう。 いやはやこれが銭湯とは恐れ入った。 さて、前置きがかなり長くなってしまったが、廿世紀浴場のスペックを紹介していこう。 外観は実にユニークなこの廿世紀浴場であるが、中身は極めて普通の銭湯である。脱衣室にはロッカーが72個、洗面台が1個、ドライヤーが1個(利用料10円)、骨董級のマッサージ椅子が1個(利用料20円)、石鹸類の販売、飲み物類の販売、アイスクリームの販売がある。 浴室に入る。浴室の洗い場は23箇所。洗い場のカランはレバー式のものがあったり、ボタン式のものがあったりして、どれにしようか迷ってしまう。両方とも相当古いように見えた。洗面器は珍しく白い洗面器である。ケロリンの文字は入っていないが、レア物の白いケロリン桶かもしれない。シャワーブース、サウナはない。 床のタイルは少々変わっている。八角形のタイルに細かい正方形のタイルが組み合わされている。床に限らず、壁等のタイルはかなり傷んでいるようだ。 浴槽に入る。この銭湯には珍しく温度計がない。湯温はかなり低いように思えた。とは言うものの、私にとっては丁度良い湯温である。だいたい東京の銭湯の湯温はどこも高すぎるのだ。浴槽は深風呂(気泡風呂)と浅風呂の2槽。 壁画はどこかの海を描いているようだ。ちなみに女湯の方は富士山である。男湯と女湯の境には、洋風のおしゃれな、かつレトロな照明器具がある。竣工当初からのものだろうと推測されるが、大切に使われているものだ。ガラスが割れてしまったらどうするのだろう。ちゃんと元通りに修理できるのだろうか。 廿世紀浴場は、大江戸銭湯の中でも、特に名所中の名所ではないかと思う。これからもユニークな銭湯に巡り会えることができるよう祈りながら、廿世紀浴場を後にした。(番台様、取材へのご協力ありがとうございました。)住所入浴料サウナTV営業時間定休日東京都台東区日本堤1-34-1400円××15:30~25:00月曜日※ 入浴料はサウナ料金込で表示※ TVはサウナ内にTVがあるかを表示取材:銭湯愛好会東京支部取材日:2004年12月18日(土) 戻るPowered by FC2ホームページ
http://www.kimuralab.org/yasunori/sento/nijisseiki-yokujou.html
PREV | UP | NEXTTOPやすの銭湯日記2000年12月30日廿世紀浴場台東区日本堤1-34-1さて、あと二日で二十世紀も終わりというこの時期になって、銭湯めぐりも二百湯を迎えることとなった。実は今年中に是非訪れておきたい銭湯があったので、記念すべき二百湯目をこの銭湯で飾ることにした。その銭湯とは「廿世紀浴場」である。なぜ今年中に訪れておきたかったかについては説明するまでもないだろう。この銭湯は名前もさることながら、銭湯とは思えない洋風のモダンな外観でも有名なところである。「ゆ」ののれんが掛かっていなければ銭湯だとは思えないほど洋風のおしゃれな造りだ。同居人と一緒に訪れたので、番台で二人分払う旨伝えると、「八十円」という返事が来る。え、そんなに安いのか、と思うより前に八百円の間違いであることには気づいたけれど、きっと入浴料金が数十円だった頃から番台に座っていたのだろうなあと考えてしまった。このレトロな建物を見ると、本当にタイムスリップしてしまったような気分になるのである。浴室の方も期待を裏切らない。最初に気づいたのはカランの形である。七割程度は他の銭湯でもよく見るごく普通のカランなのだが、その中に三割程度、ちょっと変わった形のものがある。上からまっすぐ垂直に押すようになっていて、取っ手には「湯」とか「水」とか漢字で書いてある。古いタイプのものに違いない。壊れているものもあったので、やがて全部新しいタイプのものに置き換わってしまうのだろう。古いタイプが見られたのは運がよかったかもしれない。背景画は富士山のペンキ絵。湯舟は二つに分かれていて片方が深くて熱い。最初に熱い方に入ったら「そっちは熱いよ」と常連らしきおじさんに言われた。「熱いのが好きなんです」と言ったら、照れ隠しのように笑って湯舟に入って来て、すぐに上がっていってしまった。あまりチャンスはないのだが、知らない人との会話ができるのも銭湯の楽しみの一つである。全体的に静かな感じで、落ち着いた雰囲気を漂わせるすばらしい銭湯であった。まさに二百湯目の記念にふさわしいところだった。来年からもいい銭湯をたくさんめぐりることができればいいなと思う。では、みなさまよいお年をお迎えください。←越の湯梅月湯→yasunori@kimuralab.org
https://antonmino2.exblog.jp/8024610/
日本堤の住宅街に圧倒的な佇まいを持った銭湯があった。半年ほど前に「ブログに載せたいので開店前に撮影してもいいか?」のリクエストに応じてもらえなかったので、訪れるのが後回しになってしまっていた。あの時行っておけばよかった。昨年大晦日をもって「二十世紀浴場」閉店。昭和4年築のアール・デコ風のディープな佇まい。色々とネットで調べてみると近所でも街のシンボル的な建物であったらしい。下3枚は他のサイトからの引用。80有余年の歴史を持つ湯に一度浸かってみたかった。残念でR。
http://tkyw.jp/archives/1770664.html
2007年末をもって、80年近い歴史に幕を下ろした廿世紀浴場。ニッポンの伝統様式とアールデコとの融合は見事の一言、東京銭湯の名所として、東に西に広く名の知られた存在だった。廃業後も取り壊されることなく1年以上現存していたのだが、ついに解体が始まった。三ノ輪駅に降り立ったのは、初夏の日差しに目が眩む五月の中旬。祭囃子飛び交うなか胸騒ぎに早まる歩調、飛び込んできた煙突にほっと胸を撫で下ろす。 しかし、時すでに遅し?その姿はぐるり覆われて、往時を偲ぶことすら叶わない。かろうじて確認できたのは、覆いから飛び出したてっぺん部分だけだ。かつてあそこには「廿世紀浴場」との印象深いレタリングがあったはずなのだが、既に取り外されてしまったようで、ただぽっかりと大きな穴が開いているだけだった。