皆地小学校武住分校 概要・歴史
元は「武住小学校」?
皆地小学校武住分校(みなちしょうがっこうぶじゅうぶんこう)は和歌山県田辺市(旧・東牟婁郡本宮町)にあった学校。
元々は「武住小学校」で、1956(昭和31)年に三里村・本宮村・四村・請川村および敷屋村の一部が合併して本宮町が発足した際、四村小学校の分校となったらしい。『学校年鑑 1959』(全国学校教育振興会、山陽社、1958年)には「四村小学校武住分校 生徒数66名」と記載されている。この四村小学校は後の四村川小学校と考えられる。
『和歌山県法規集 6巻』(第一法規出版、1968年)では「皆地小学校武住分校」となっている。
1979(昭和49)年に閉校。
小さな2階建て校舎が残り、閉校後も民間企業の施設として活用されていたらしいが、2006年時点で不使用となっている。
2024年2月時点で現存し、指定避難施設の掲示が設置されている。
2013-02-17
2024-03-06