国見山石灰鉱業専用線 関連ブログ・参考リンク
http://www.geocities.jp/okazu1945/kunimiyama/kunimiyama.htm
なんで こんなところに鉄橋があるの ? ? 廃 線 跡 探 訪 国見山三重石灰鉱業専用鉄道 「20年ほど前まで石灰を運んだ鉄道があって 無くなる前には大勢の人が写真を撮りに来て たよ」と、近くの人が教えてくれました。 . 正確な廃止年月は不明でした。
http://homepage1.nifty.com/pyoco3/tokai/tokai-c.htm
2013年11月21日 国見山石灰鉱業 専用線←大阪セメント←大阪窯業 道路と同化した専用線, 12年4月, 専用線上を走るベルトコンベア, 12年4月. 選鉱所内に放置された専用線機関車, 12年4月. 熊野市トロッコ電車←紀和町←石原産業紀州鉱山専用線ツ黴
http://blogs.yahoo.co.jp/tissot900gazoni/12440929.html
近鉄志摩線に旧廃線があるのは知っていたし、他にも過去に鉄道やケーブルカーが走っていたという廃線跡のことも知っていたし、さらに言えば各地のいわゆる専用鉄道(旅客用でない鉄道)も一通り知ってるつもりでいた。 しかるに、南伊勢町( 電子地図には線路が載っとるやないかーい。今初めて気づいた(爆)。 というわけで、衝撃の出会いを果たしたわたくし。線路まで残ってるじゃないか…。看板には、. イメージ 4. 国見山石灰鉱業(株)の文字。いや、知らん知らんよそんなん!! にわかには信じられ
http://blogs.yahoo.co.jp/tissot900gazoni/12444508.html
こんな感じ。レールが残る、極上の廃線だ。ただし鉄橋まで見渡す限り何もなさそうだったので、この先は歩いていない。この日は車でポイントに移動してその前後をチェック、という形だった。 そして振り返ると、. イメージ 4. いや~イイね~!
http://blogs.yahoo.co.jp/tissot900gazoni/12451269.html
ココまでで十分にテンションは上がっていたが、コンベアの登場によりいよいよレベルはMAXに近づいた。 イメージ 11. こんなん、いまだかつて見たことも聞いたこともない!!この廃線風景には、ハートを根こそぎ持って行かれた。 イメージ 12
http://blogs.yahoo.co.jp/tissot900gazoni/12462041.html
【4】 より続く。 イヤイヤイヤイヤ! ホンマに埋まっとるやーん! 男性の言葉通り、そこには砂に埋没したディーゼル機関車が! ここで中途半端に理性が働く(笑)。 てわけで、いったん道路へエスケープ。 この左手の山の向こうに…
http://blogs.yahoo.co.jp/tissot900gazoni/12457979.html
【3】 より続く。 あったー! さっき出会った男性から聞いたとおり、そこには放置されたディーゼル機関車が。スゲぇー!! めちゃめちゃそそられたが、運転台に上がるのは自重した。許可を取ってるならまだしも、撮影だけで精一杯だ。 「D-505」
http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/kunimiyama/kuniiyama.html
三重県の山奥に国見山鉱山があり、鉱山から港まで専用線が延びていました。 国見山石灰鉱業㈱」もその内の一社で、前任者から引き継いで、私が担当することになりました。 当時、名鉄住商が国見山から請負っていた仕事は、貨車の車輪を年間数本、車輪ツ黴
https://www.hotetu.net/haisen/Kansai/140118kunimiyamasekaikougyo.html
更新日時 2014年01月31日 国見山石灰鉱業専用線:南伊勢町の旧南島町では国見山石灰鉱業株式会社の石灰鉱山から港まで国見山石灰鉱業専用線が運用されていたため、国道260号に踏み切りが設置されていた。この鉱山は1934年(昭和9年)に大阪セメント株式会社により開かれ、昭和54年6月に国見山石灰鉱業株式会社に譲り渡された。1985年(昭和60年)には51名の従業員により564,000トンの石灰石が船に積込まれた。鉱山から吉津港までの約3Kmを結んでいた。運転は平日のみで1時間間隔で往復していた。2001年1月からベルトコンベア輸送が開始され、国見山石灰鉱業専用線は廃止されました。①国見山石灰鉱業の吉津港の積み出し場。①この横穴は何の穴なのですかね?①国見山石灰鉱業の吉津港の積み出し場。①国見山石灰鉱業株式会社 三重鉱業所。①国見山石灰鉱業のベルトコンベア。②国見山石灰鉱業専用線跡。一部レールが残る。③国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)④国見山石灰鉱業の国見隧道内のベルトコンベア。⑤国見山石灰鉱業専用線跡。ここから先はレールが残る。⑥国見山石灰鉱業専用線跡。伊勢地川の支流を渡る鉄橋も残る。⑦国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)⑧国見山石灰鉱業専用線跡。踏切部分はレールが撤去されている。⑨国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)⑩国見山石灰鉱業専用線跡。伊勢地川を渡る鉄橋も残る。⑪国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)⑫国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)⑬国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)⑭国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)⑮国見山石灰鉱業専用線跡。ベルトコンベアラインと合流する。⑯国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)⑰国見山石灰鉱業専用線跡。子畑のガーター橋が残る。⑱国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)⑲国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面) ⑲D-505は新日鐵広畑製鉄所で使用されていたもので1986年(昭和61年)11月1日新日鐵広畑製鉄所専用鉄道が廃止され、この国見山石灰鉱業専用に譲渡された。⑲日本車輌製D-505。50t機。昭和55年製。NO.3325。⑳国見山石灰鉱業専用線跡。ここで石灰を積み込んでいた。D-507号機は解体されたか?国見山鉱山の採掘場。戻る Copyright (C) 2008-2019 hotetu.net All Rights Reserved外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/ 歩鉄の達人出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』