畑山トンネルは兵庫県朝来市にある鉄道廃隧道。 播但線(ばんたんせん)の廃線跡で、生野 - 長谷間が開...

畑山トンネル(播但線)

畑山トンネル(播但線) 概要・歴史

畑山トンネルは兵庫県朝来市にある鉄道廃隧道。 播但線(ばんたんせん)の廃線跡で、生野 - 長谷間が開...

畑山トンネル(播但線) 画像

畑山トンネル位置図
©国土地理院

近くのスポット

畑山トンネル(播但線) 関連ブログ・参考リンク

http://sputoyo877.com/bantansen2.html
播但線廃線跡トンネル 兵庫県長谷駅~生野駅間. 後半戦. 畑山トンネル編. 南側の廃トンネルはすぐに発見できました。 しかし2本目はここから北におよそ1km弱。 平地ならいざ知らず、旧線上は植樹され、あ るいは育ち、 因みに武田尾廃線化は1986年ということで すから、14年以上も廃線リーダー? . 南から「向山トンネル」「畑山トンネル」
http://yamaaso.cranky.jp/2014/haisen.html
播但線廃線跡を歩くはじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1『生野』を参照していただくようお願いいたします。2014. 3. 9.  日曜日  曇り時々晴れ  気温 ふつう今から20年ほど前、MTBを始めた頃は(今もだが)よく地形図を眺めていた。それは未知のシングルトラックを 探すため。ここも当初は隧道のあるシングル(あるいは ダブル?)トラックかなと思っていたがすぐにそうではないと知る。 播但線の廃線だとわかったが20年の年月を経てようやく訪れることができた。当日はジローさん主催の『トロッコ道を歩こう』だったので、早朝にとりつき箇所の下見をする。 そう、ここは市川を渡渉しないと行けないのです。その下見では長靴で行けそうな感じだったので 同行メンバーにその旨を伝えて、ジローさんのイベントが終了後に車で移動する。長靴が役に立たない現役線との合流地点。黄色線が旧軌道ルート実際に川縁に立って流れを見てみると到底長靴ごときでは渡れないことに愕然とする。そこでメンバーに提案。その1:あきらめて帰る。その2:濡れずに渡る方法(違法だが)でクリアする。その3:たとえ濡れても渡る。で、結果は上の写真の通り。無事?対岸に到着して、斜面をよじ登り、まずは現播但線と旧播但線(軌道は無い)との合流点の確認をする。隧道の入り口路面には水は無いそこから反対方向へ進むのだが、合流点から数十mで最初の隧道がある。隧道の入り口(出口もそうだが)周辺には 隧道名を示す銘板は無かった。が、すでにネットではここのこともレポートされており最初の隧道は『向山トンネル』と 言うらしい。隧道内の路面は乾いていた待避所もある軌道とか枕木のたぐいは残っていない。馬蹄型の断面はトンネルというより隧道と言ったほうが しっくりくる。表面はきれいに煉瓦で化粧されている。鉄道が通過するだけなので 素掘りでは駄目なのか?この作業だけでもたいへんな労力だと思う。 側面が大きく崩れている箇所があって岩盤の上に貼られた煉瓦の具合がよくわかる。けっこう倒木がひどい石垣でしっかり補強wikipediaによると明治27年播但鉄道(いわゆる私鉄)によ...に地圧がかかればまだ良いらしいが、斜めの斜面に掘られた穴は それぞれの位置によって地圧のかかりかたが違うらしい。そのために長い年月をうちに 弱い箇所から崩れる恐れがある。この畑山隧道の出口付近も側面をコンクリートで補強した跡があったが、地圧による 崩落を防ぐためだったのだろうか。煉瓦の壁に大きなヒビがあったが、廃線になる直前に そういった予兆が現れたため現在の市川右岸へと軌道を移動させたのかもしれない。畑山隧道を出て、ここから先を行っても工場の敷地内になるのと、ほぼ時間切れのため帰路につく。畑山隧道への再突入はやめて 川沿いの獣道を利用して帰る。帰路につきながらも川渡りのポイントに良い場所を探しながら歩いたが、 結局は最初に渡渉付近が一番よさそうだった。真名谷踏切前にありますSL脱線事故の弔魂碑この播但線にはもう一つのドラマがありました。事故が無いようにと軌道を付け替えたわけですが、 昭和34年に廃線跡からわずか南にある真名谷トンネル前でSLの脱線事故があったのです。 そこには遺族有志による弔魂碑があり、裏面にはその事故の模様が記されている。踏切から真名谷トンネル方向を見るこの事故に関してはWEBでも詳細に語られているが、この石碑から抜粋すると。 団体客を乗せるために無人の客車を新井方面から生野隧道を抜けようとしていたのが C54 5号機だった。生野隧道は急坂の難所でいつも以上に投炭をしなければならない。当SLは写真でもわかるように逆向き牽引していたのは 運転席より後ろに煙突があるようにして煙に巻かれないよう配慮したためと思われるが、生野隧道は狭いうえにそのときは 逆風で登坂スピード以上だったと思われる。SLに乗った世代だとわかるのだが、クーラーもない夏場、それまで窓を開け放して風を入れていても 隧道に入ると乗客が一斉に窓を閉める光景が常だった。毎日利用している沿線だとどこに隧道があるのか よく知っているのでその直前に閉めたりしたものだった。結果、機関士と機関助士は煙に巻かれて窒息失神。止まるはずの生野駅を通過してしまい真名谷トンネルで 脱線となってしまった。今回の地図はありません。黄色い矢印が現在の弔魂碑場所それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~山歩きの部屋にもどるホームにもどる