http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/26.Kyoto/Tango_Chikaraishi.html
所在:京丹後市弥栄町力石地形図:丹後平/網野形態:谷沿いの斜面に家屋が集まる離村の背景:火災・豪雪標高:約190m また論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期31戸、昭和35年5戸、昭和45年1戸、昭和49ツ黴
https://tangonotimei.com/doc/tango/ktngc/tikaraisi.html
中世のちからいしの里で、戦国期に見える地名。「丹後御檀家帳」に「一 ちからいしの里 家六拾軒斗」と見える。力石村は、江戸期~明治22年の村名。はじめ宮津藩領、享保2年幕府領、宝暦13年但馬出石藩領、天保6年幕府領となる。当初吉永村の枝郷、のち分村独立。明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年八木村の大字となる。 力石は、明治22年~現在の大字名。はじめ八木村、大正14年豊栄村、昭和30年からは丹後町の大字。平成16年から京丹後市の大字。昭和32年4月の大火で26戸のうち24戸が焼失。近郷への離村が相次ぎ、続く同38年の豪雪で力石分校校舎も倒壊、再建を図ったが効なく、同50年には全戸離村した。