上喜茂別鉱山 関連ブログ・参考リンク
http://members3.jcom.home.ne.jp/bighorn3/kouzann/kimobetsu/kimobetsu.html
上喜茂別鉱山2010年12月探訪(2011年8月画像を追加)概要最初の発見は明治37年で、その後昭和12年日本製鉄株式会社が買収昭和14年に、日鉄鉱業株式会社の所有となった。※厳しく管理されていますので、トラブルや事故等に遭われましても、当管理人は一切の責任を
http://jm-hokkaido.sakura.ne.jp/is-kamikimobetu1.html
上喜茂別鉱山専用線地形図を集めてそれを見て、ニヤリとするのが楽しい。昭和中期の物は今とは異なるものが多く、ま、とにかく楽しいのです。そんな地形図の喜茂別辺りの旧図を見ていたら、ん?、そんなところに線路??喜茂別の駅からなにやら知らない鉄道線が東に延びているので
http://www.hotetu.net/haisen/Hokkaido/140830kamikimobetukouzan.html
日鉄鉱業喜茂別鉱山専用鉄道:胆振線喜茂別駅から日鉄鉱業喜茂別鉱山専用鉄道が分岐していた。喜茂別駅を称した駅は、2つ存在した。ひとつは胆振鉄道が開業した際に終着駅として設置した喜茂別駅(初代)。もうひとつは胆振鉄道を合併した胆振縦貫鉄道が、伊達紋別方面に路線を延
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kitanohosomiti/top80.html
喜茂別鉱山でよじ登る北海道喜茂別町栄明治37年に発見された大刀川鉱山は昭和14年に日鉄鉱業が買収してから本格的に採掘された。喜茂別駅から専用軌道も敷設され、昭和28年の休山まで砒素を含む褐鉄鉱を採掘した藪が茂るギリギリの時期に探検してみた。ホッパー跡、羆、橋台
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kitanohosomiti/top81.html
ホッパーによじ登る喜茂別市街地から中山峠に向かう路沿いに、かつて6.6kmの鉱山専用軌道があった。しかしその痕跡はまったく見えない。栄付近には福島という地名もある。福島から入植したらしい。山中へ向かうと路面はグラベルとなる。民家の奥の谷地の向こうになにやら石積
http://www.town.kimobetsu.hokkaido.jp/soshiki_shigoto/kyoikuiinkai/syougaigakusyu/files/kikigakitokubetsu02.pdf
日鉄鉱山跡(栄):昭和 13 年鉱山は、1904(明治 37)年、地域住民により発見されました。褐鉄鉱の採掘が始まったのは、34 年後の 1938(昭和 13)年。1941(昭和 16)年の胆振縦貫鉄道開通に合わせて、日鉄鉱業(株)が喜茂別駅まで専用軌道(6.6km)を布設し、露天掘り採掘し、室蘭製鉄所への鉱石輸送を開始しました。この時の従業員は174 名を数え、1944(昭和 19)年までに約 30 万トンが採掘されました。その後、砒素の含有量が多いことから、たびたび休山を繰り返しましたが、研究が進められ、1949(昭和 24)年、焼結により鉱石から砒素を取り除くことに成功、脱砒焼結工場を建設して、採掘を再開しました。しかし、工場はコスト高となって経営が悪化、1953(昭和 28)年再び休山に追い込まれました。