幌内炭鉱

幌内炭鉱(ほろないたんこう)とは、北海道三笠市(開山当時は幌内村)に存在した炭鉱。

お雇い外国人による指導で、石炭層の発見~採炭から輸送に至るまで機械化が進められた、日本の近代炭鉱の先駆け的存在。明治期の近代化から太平洋戦争後の復興期まで、縁の下で日本を支えた歴史的に重要な炭鉱の一つである。1989年に閉山した。

閉山後、安全性などの問題から多くの構造物が取り壊され、2004年(平成16)年夏に排気立坑櫓が解体撤去された。同年、立坑櫓横にあった巻揚げ機室も撤去された。立坑櫓後方にはズリ山が残る。立坑櫓付近は現在は工業団地となっている。

2004年から炭鉱施設跡地・遺構・景観を歴史的遺産として保存するため「幌内炭鉱自然公園」の整備が進められている。公園内には幌内炭坑変電所の他、安全灯庫音羽坑常磐坑坑内神社幌内神社選炭場などの遺構が残されている。見学用の遊歩道や説明板が設置されてはいるものの、森の中に朽ちたコンクリート遺構の点在する様子は過度に観光化されておらず、荘厳な雰囲気が保たれている。

安全灯庫は大正から昭和初期頃に建設された外壁一部レンガ造りの建物。当初の坑内照明はブリキ製のカンテラに魚油や石油を使用していたが、坑道が延長するに連れ通気が不完全になり危険が増していた。1893(明治26)年頃から安全灯が使われ、裸火の照明が禁止された。明治30年頃からは照明度の赤いウルフ灯、大正末からキャップランプ、1930(昭和5)年頃からエジソン安全灯や電池式坑内安全灯が使われた。

大坑道(音羽坑)は、1879(明治12)年に開削された北海道最古の炭鉱。延長約700m。坑口から伸びるレールは、1882(明治15)年、北海道で最初に開通した幌内鉄道幌内駅につながり、石炭が搬出された。

幌内神社は音羽坑の上部に位置し、1880(明治13)年に建立され、1902(明治35)年に本殿、拝殿などが新築された。建物は残存せず、鳥居や狛犬、灯籠だけが残っている。1882(明治15)年に榎本武揚が来訪した際「幌内神社」と筆書きした社号碑が残り、三笠市文化財に登録されている。

常磐坑(ときわこう)は1938(昭和13)年から掘り進められ1941(昭和16)年に出炭開始。1950(昭和25)年にベルトコンベアの大規模工事が開始され二年後に完成。その後は付近にあった養老坑、布引坑の石炭も常磐坑から運搬された。ベルトコンベアの運搬能力は毎時540tに向上し、1984(昭和54)年には総延長9000mにも達した。二つの坑口が並び、左が石炭を搬出した本卸、右が人や資材が出入りする副卸で、間に坑口神社が祀られた。付近にはベルトコンベア巻揚機台座の遺構も見られる。

物件は管理されており、無断侵入や破壊・損壊行為、物品の持ち出し等は法的に禁じられています。航空写真・ストリートビューからの鑑賞を強く推奨します。また周辺地域を訪問される場合でも、公道上から外見のみを見学し、地域の方々に迷惑となる行為は強く慎まれるようお願い致します。情報は最新の状態を反映しているとは限らず、リニューアル・再生されている場合もあります。当サイトの情報は物件の歴史的に一時的な状態を示しているのみです。また、不使用施設以外の味わい深い施設をおことわりの上紹介している場合がありますのでご注意下さい

幌内炭鉱 住所

北海道三笠市幌内中央町

幌内炭鉱 種類

廃鉱・採石場跡

幌内炭鉱 画像

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幌内炭鉱 ストリートビュー・空中写真

幌内炭鉱 スポット

幌内炭鉱 写真・ブログ・リポート

エアぶろ 正しくは新幌内炭鉱?
http://nonintheair.blog78.fc2.com/blog-entry-257.html
正しくは新幌内炭鉱? 現在、イン ジ エアでは「新三笠炭鉱選炭所」「新三笠炭鉱変電所 」を新着UPしています。 この場所が新三笠炭鉱だと判断したソースは2つ。 ひとつ 235- 01.jpg 近くにある閉鎖された坑口の記銘。 二つめは、小林氏の「廃墟漂流」の中で、
REPORT - 054 幌内炭鉱布引坑|6Frogs - 毎日をデザインで考える
http://ameblo.jp/6blogs/entry-10656791765.html
2010年9月23日 新札幌の知り合いが幌内の炭鉱跡に行きたいと言うので案内して来ました、夕張関連の 炭鉱遺構は20代前半に随分と回りましたが廃墟として写真に収めてはいないので丁度 良いかと。 今回は時間が無くて数箇所しか回れなかったのですが
廃墟賛歌 | gallery | Horonai Coal Mine
http://www.o-project.jp/Gallery-horonai1.htm
北海道の炭鉱開発の歴史は、明治12年 (1879) に開坑したこの幌内炭鉱により始まっ たが、明治政府は炭鉱の開発と同時に、小樽-幌内間を結ぶ石炭運搬鉄道の敷設にも 力を入れ、明治13年 (1880) に完成した道内初、国内でも3番目の鉄道により、道内の
北炭幌内炭鉱 トライスターの炭鉱と廃線と廃墟の放浪日記/ウェブリブログ
http://tristar.at.webry.info/201004/article_10.html
2010年4月22日 トライスターの炭鉱と廃線と廃墟の放浪日記の北炭幌内炭鉱に関する詳細記事。( Powered by BIGLOBEウェブリブログ)北海道、三笠市にあった炭鉱です。
高見茂雄教授プロログ
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2009年9月3日 夕張,幌内炭鉱跡見学記(9/1) 7月に三池炭鉱立坑跡を見学してから,他の炭鉱跡も 見たくなりました. 夕張市は,廃坑後,石炭博物館とメロン,スキーリゾートで町おこし を計画し,経営母体が転々と変わり,いまでは閑散とした施設です
3-1.炭鉱を旅する
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三笠・奔別炭鉱 炭鉱は北海道の歴史で常に重要な位置をしめてきました。 明治5年に 来日したライマンは明治7年、夕張川流域を調査し、 夕張川上流に石炭があること 明らかになり、徐々に開発の手が入っていくことになります。 明治12年にはまず幌内 炭鉱の
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これ以外にも、夕張近郊の廃墟である 宿泊施設ファミリースクールふれあい (夕張市) 廃旅館・山楽荘 香名館 (栗山町) ※自然現象で解体 万字温泉(岩見沢市栗沢町) ※解体 万字小学校(岩見沢市栗沢町) ※解体 等は こちら や こちら から 見れますよ~
旧北炭幌内炭鉱布引坑
http://hokkaidou.yukishigure.com//ruins2/page1196.html
旧北炭幌内炭鉱布引坑
幌内炭坑、選炭場跡 その1|「そうだ樹海、行こう」 |←樹海| ┗(^o^ )┓三
http://ameblo.jp/woncul/entry-10900479936.html
幌内炭坑の選炭場は、坑内から運ばれてきた石炭と、不要な部分(ズリ)を選別していた場所だ。現在もコンクリート製の一部建物や基礎、数々の遺構などがそのまま残されている。広々とした場所に、崩壊している巨大建築物がいくつも点在する場所だった。とにかく一つ一つの遺構は巨
北炭幌内炭鉱、幌内立坑櫓(入気)|「そうだ樹海、行こう」 |←樹海| ┗(^o^ )┓三
http://ameblo.jp/woncul/entry-10561403693.html
「幌内」の文字が残る。「内」の文字は左の一部が欠けてしまっている縦構図で撮影。これもかっこよい。後ろの山は、低品位の石炭や岩を捨てた「ずり山」だ。ちょうど芽吹きの季節だった。廃トラックと炭鉱5月中旬に、今年初めての探索をしてきた。探索初日は家族連れで、翌日は北
緑に包まれる幌内炭鉱の遺構群 - 1 - 炭鉱(道央)
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幌内炭鉱景観公園この自然公園は、110年の歴史を持つ幌内炭鉱の記憶(1879(明治12)年:開鉱~1989(平成元)年:閉山)を残そうと、平成14年から手づくりでの公園化が進められているそうです。(現地の看板より)ここは昨年初めて訪問し、時間が無くてあまり見る
布引坑 - 1 - 炭鉱(道央)
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幌内炭砿布引坑、立坑櫓の巻揚室に隣接していたレンガの建物。天井の骨組みが露出し、そこから入り込む光が美しい。新緑の木々が、失われた屋根の代わりとなっていた。★SpecialThankstoAttheplace-その場所で-ひこさん
北炭幌内炭砿布引立坑櫓跡|人の創りしもの Mix the grand pulse
http://ameblo.jp/grand-pulse/entry-11490545716.html
大正時代に建設された煉瓦作りの入排気立坑、閉山後に立坑櫓は解体され、巻揚げ室のみが遺っている
【廃墟のデパート】三笠市 幌内炭鉱跡 | 北海道バンザイ
http://kamokamo.net/三笠市-幌内炭鉱跡
1879年開業。道内最初の炭鉱です。道内最初は泊村の茅沼炭鉱でした・・・。1989年閉山。大規模な炭鉱施設、発電所跡、神社跡・・・見どころ満載です。北海道遺産に登録されています。すぐ近くに鉄道記念館がありますので、セットで見学されることをおすすめします。

幌内炭鉱 キーワード

パノラマレイアウト 場所 2階 石炭輸送列車 多く 倉庫群 小樽 幾春別 小樽運河 小樽駅 岩見沢 幌内線 旧手宮駅構内 発着 1920年 陳列 小樽市 手宮 敷設 産出 官営幌内鉄道 アンモナイト 幌内炭鉱変電所 発見 終え 見る シックナー 残留物 整備 地域別 すぐ 幌内炭鉱景観公園 新 平成元年 施設 レンガ 炭鉱遺産 いい 北炭幌内炭鉱 階段 1989年 閉山 大量の 残る 鉱やぐら 神社 構造物 北炭 資金 北海道炭 三笠市 下 炭鉱 幌内 6月 北海道 流れ 海 貨物列車 石炭 建設 クロフォード公園 三笠駅 送電線 三笠 立坑櫓 夕張 清水沢火力発電所 一枚 風太郎 開業 開通 鉄道 2年 公共交通機関 遺産 解体 爆発 幌内炭鉱立坑櫓 昭和

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