http://1901rjtt-to-roah.blog.so-net.ne.jp/asajino_airfield1
1947年撮影の写真(下記リンク参照)からすると、滑走路位置はおおよそこんな感じ。先ずは国道238から南下する道を通り、A地点に向かいました。画面奥がA地点方向。すぐにこんな小道と交差します。現在はサイクリングロードになっている天北線跡です。
http://1901rjtt-to-roah.blog.so-net.ne.jp/asajino_airfield2
宗谷岬からオホーツク海に沿って30キロ程南下したところにある「さるふつ公園・道の駅」大戦当時、そのすぐ西側には「浅茅野(あさじの)第二飛行場」がありました。上の写真は道の駅西側部分。現在は村営牧場が広がっています。(手前はパターゴルフ場ですが)当時はちょうどこ
http://sentimental-journey.blog.so-net.ne.jp/2012-01-05
この後、飛行場前駅跡と交差する道路を進み、少し行くと、右手に古い橋台がありました。このときは確信はなかったのですが、帰ってから調べてみると、「浅茅野大橋」と呼ばれた飛行場関連の遺構でした。さらにその先には角柱状の構築物がありました。門柱のようにも見えますが、そ
http://minkara.carview.co.jp/en/userid/177050/car/207274/3995452/photo.aspx
飛行場前駅飛行場が無いのに飛行場前駅を名乗ってたw天北線の駅跡で最も行ってみたかった駅跡
http://uroneko02.com/entai_asajino01.htm
1943年(昭18年)度に作成された陸軍の「航空作戦指導計画大綱」によって、対ソ連戦を意識して北海道東部~千島・樺太方面の防空ならびに作戦行動の航空基地として計画された飛行場が浅茅野(あさじの)第一ならびに第二飛行場でした。共にオホーツク海ツ黴