天北線(てんぽくせん)は国鉄およびJR北海道が営業していた鉄道路線。北海道中川郡音威子府村の音威子...

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名称 天北線
住所 北海道枝幸郡中頓別町敏音知
種類 廃線・鉄道駅
北海道の廃線・鉄道駅
スコア
★★★★★★ 42
現況 現存
評価 ■■

天北線 概要・歴史

天北線(てんぽくせん)は国鉄およびJR北海道が営業していた鉄道路線。北海道中川郡音威子府村の音威子府駅で宗谷本線から分岐し、枝幸郡浜頓別町等を経て稚内市の南稚内駅で再び宗谷本線に接続していた。

1914(大正3)年11月に宗谷線が音威子府駅 - 小頓別駅間で延伸開業したことに始まり、1922(大正11)年に稚内まで全通し、宗谷本線と称した。

1926(大正15)年に音威子府 - 南稚内間により距離の短い天塩線が幌延経由のルートで開通すると、1930(昭和5)年に天塩線が宗谷本線に編入され、音威子府 - 浜頓別経由 - 稚内の旧来のルートは北見線(きたみせん)として分離された。

1961(昭和36)年に北見線から天北線に改称。

1989(平成元)年に廃止された。

廃線跡は浜頓別駅跡から猿払駅跡までが「北オホーツクサイクリングロード」に転用されている。

鬼志別駅跡はバスターミナル館となり、1階に天北線の資料展示室が設けられ、周辺駅の駅名標、乗車券、備品、写真などの天北線関連資料が保存・展示されている。

ほかに敏音知駅(ぴんねしりえき)跡や、鬼河原川橋などの橋梁跡が見られる。

天北線 画像

敏音知駅(ぴんねしりえき)跡
敏音知駅(ぴんねしりえき)跡
By Purplepumpkins via https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Tenpokusen_pinneshiri.jpg
天北線
Yobito KAYANUMA [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)]

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天北線 ストリートビュー・空中写真

天北線 関連ブログ・参考リンク

少し昔の北海道の鉄道 廃線の映像
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107 天北線 敏音知駅 急行「天北」 タブレット通過授受 ほか [再生]. 天北線(廃線)の、 敏音知駅の映像です。 普通列車の映像と、14系客車列車時代の急行「天北」の タブレット(通票)通過授受の場面があります。 1986年6月~1988年9月の撮影です。
天北線さんぽ 2011③(敏音知~松音知)
天北線さんぽ 2011③(敏音知~松音知) リンク切れの可能性があります
http://kam-r.sub.jp/ainu/111te3.html
私がはじめて北海道を感じた天北線、廃線になっても魅力が衰えることはありません。 ちなみに写真は周磨駅跡( 上記写真は昭和50年代初頭に撮影された敏音知地区、 右の丸が敏音知小学校、左の丸が天北線敏音知駅に該当します。進行右が音威子府
少し昔の北海道の鉄道 天北線 敏音知駅 急行「天北」 タブレット通過授受
http://www.yos.ne.jp/tempoku/video-PinneshiriStn.html
天北線 敏音知駅 急行「天北」 タブレット通過授受 ほか 107 天北線(廃線)の、敏音知 駅の映像です。 普通列車の映像と、14系客車列車時代の急行「天北」のタブレット(通票 )通過授受の場面があります。 1986年6月~1988年9月の撮影です。
敏音知駅 天北線 廃線 廃駅 北海道 道の駅ピンネシリ モニュメント 中頓別町
http://www12.tok2.com/home2/airtax04/haisen66.htm
2011年8月4日 JR(旧国鉄):天北線(音威子府駅~南稚内駅)の「敏音知(ぴんねしり)駅」。 1916( 大正5)年10月開業、1989(平成元)年5月廃止。 “樺太連絡鉄道”としての役割を担っ ていた、最北の鉄路:天北線。 廃線後、道の駅とオートキャンプ場として
daydream 旧天北線 敏音知駅跡
http://azusan36.blog40.fc2.com/blog-entry-1543.html
6 日前 2011'08.31・Wed 「敏音知」 の記事にもありますが…。 枝幸郡中頓別町に、「道の駅 ピンネシリ」があります。 廃線になった旧天北線「敏音知駅」の跡地に設置されました。 音威子府(オトイネップ)からオホーツクの浜頓別(ハマトンベツ)へ向かう
天北線 - 廃線跡Report
http://www.geocities.jp/xxreport2/repo/tenpo.html
建設に際しては、オホーツク海側廻りと日本海側廻りとでルートの対立がおこり、最終的 に決定となったのは前者、後の天北線のルートだった。なお、後者の沿線 まず開通 したのは小頓別までで、その後順次延長され、最終的に廃線時の状態になったのは 1922年のこと。その後稚泊航路が . 敏音知と松音知の間では何度も蛇行する頓別川 とその支流を渡っていたが、その部分には現在も小さな橋梁が残っている。ただ、路盤 跡は
少し昔の(+最近の)北海道の鉄道 天北線 宗谷本線
http://www.yos.ne.jp/tempoku/train-TempokuSouya.html
107 天北線 敏音知駅 急行「天北」 タブレット通過授受 ほか [再生]. 天北線(廃線)の、 敏音知駅の映像です。 普通列車の映像と、14系客車列車時代の急行「天北」の タブレット(通票)通過授受の場面があります。 1986年6月~1988年9月の撮影です。
大日本ノスタルジィ鉄道 天北線 - 日本海
http://www.nihonkai.com/railroad/tenpoku/tenpoku.html
天北線の停車駅と仮乗降場稚内-南稚内-宇遠内(仮)-声問-恵北-樺岡-沼川 -曲渕-小石-鬼志別-芦野-猿払-浅茅野-飛行場前( 廃線後は樺岡・沼川・ 鬼志別・下頓別・松音知駅の駅名標が各駅跡に保存されている 敏音知 発, 05:12 …
106日間北海道一周!自転車&キャンプ旅行-2 - DTI
http://www.horae.dti.ne.jp/~tabi-pr/s_bike2.html
歩き切り、YHに到着すると、ヘルパーさん、ホステラーさんなど、YHにいる全ての人の「風来坊」の大合唱で迎えられた。 . かつて天北線というJRの路線があり、南稚内-浜頓別-音威子府をオホーツク海側を経由しながら結んでいた。1989年に廃止されて ホーム上とそのまわりは雑草が生えまくり、まるで人々から忘れ去られた廃墟のようだ。
天北線 - nifty
天北線 - nifty リンク切れの可能性があります
http://homepage3.nifty.com/nihon100kei/tetudou3.htm
この天北線は、北海道の最北の人口稀薄地帯をゆく路線から利用客は至って少なく、国鉄再建法により第2 正に、路線名称が命運を決した・・という廃止線に有りがちな悲運を背負 った路線でもあった。 右上 思い出お~い天北線駅スタンプ(敏音知駅・中頓別駅・浜頓別駅) .. 営業係数, 転換処置, 川内~薩摩大口 下り7本・上り5本 川内~薩摩永野 1往復 川内~宮之城 上り3本 川内~薩摩鶴田 下り1本《休日 宮之城 止》
線路巡礼:天北線(人がいない線路・・・) - 線路巡礼 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/lunchapi/59535768.html
目的は、駅前の廃線跡(鉄橋). ここから歌登町営軌道という線路が出ていました。 その線路跡。 天北線の車窓からこの鉄橋を見たことがありまして、 興味があるので、ちょっと途中下車(これも思い出作り?) イメージ 3 廃線跡鉄橋の向こう側 
旅行記録(2003/9/28~) - 駅旅くらぶ
http://ekitabi.sakura.ne.jp/sai-too/trip/trvl030928/trvl030928.htm
中島公園-(地下鉄)-札幌-(L特急スーパーホワイトアロー11号)-岩見沢=岩見沢競馬場 =新千歳空港=東追分=川端=滝ノ上=三川=岩見沢IC=(道央自動車道)=奈井江砂川IC=旭川健康ブラザ 9.30 旭川健康プラザ
廃線跡めぐり~中頓別町の天北線跡 | 北海道Likers
http://www.hokkaidolikers.com/articles/3224
北海道北部に昔、天北線という鉄道が走っていました。廃止されてから四半世紀過ぎましたが、現地には鉄道が走っていた証がいくつも残っています。今回、中頓別(なかとんべつ)町にある廃線跡を探りました。さあ、ちょっぴり
JR天北線廃線跡 - 廃線鉄道寮
http://haisentetsudouryou.travel.coocan.jp/089tenpoku1.html
1961、4、1 天北線となる 1987、4、1 JR北海道に継承 1989、5、1 音威子府~南稚内間廃止 写真と調査結果 調査日 音威子府-天北トンネル間 2015,5,17 天北トンネル-敏音知間 2015,5,16 敏音知-中頓別間 2015,5,