問寒別線(幌延町営軌道) 関連ブログ・参考リンク
http://minkara.carview.co.jp/userid/177050/blog/38268796/
★幌延町営軌道★かつて幌延町にあった簡易軌道問寒別~二十線間16.3kmさらにクローム鉱石輸送や石炭輸送もしていた。1958年(昭和33年)炭鉱が閉鎖され、石炭輸送業務終了1971年(昭和46年)幌延町営軌道全線廃止以下、幌延町営軌道跡を探索内容ですwJR問寒
http://swingbooks.jp/2012/11/11/toikanbetsu/
幌延には、軽便鉄道・ナローゲージ愛好者として訪れておきたい場所があった。問寒別である。ここはかつて存在した幌延町営軌道(簡易軌道問寒別線ともいう)というナローゲージの鉄道の起点となっていた場所である。1971年廃線。ぼくが物心ついたときには消滅していた。問寒別
http://futures.at.webry.info/201009/article_1.html
宗谷本線問寒別駅前から幌延町営軌道(殖民軌道問寒別線、16.3km)が開通したのは1935年9月のこと。その後、クロームや石炭の輸送のための支線や延長線を持っていた時期もありましたが、幌延炭鉱閉鎖のため1958年に石炭輸送を終了し、1971年5月にはすべて廃止
http://www007.upp.so-net.ne.jp/hashigo/ruins/u023.html
現在の天塩郡幌延町内の省線(注:後の国鉄⇒JR北海道)宗谷本線~問寒別駅の北側から、北の開拓地である二十線へと向かっていた路線である。文献では、しばしば「幌延町営軌道」の名で登場しているが、幌延町内には全く別の区間に幌延線が存在したことを考えると、やはり当路線
http://www.dagashi.org/tro/kan_horo.html
北海道の簡易軌道幌延(ほろのべ)町は北海道の北部にある町で、町営軌道問寒別(といかんべつ)線は、宗谷本線問寒別駅を起点とした簡易軌道である。もともとは、天塩工業の鉱山鉄道として建設されたものだが、昭和27年に北海道、北海道開発庁、幌延村(当時)が協議して、村が
http://nayoroyh.blog107.fc2.com/blog-entry-1765.html
今日は幌延町営簡易軌道問寒別線跡を見に行ってきました。問寒別から北の方に延びていた軌道で、1971年に廃線。今では橋梁跡を中心に残っています。こちらはほぼ終点の二十線の軌道事務所跡。ここには軌道終点の標識も建っています。知駒峠を越えるも利尻は見えず。天北線跡で
http://nigochu.xsrv.jp/toikanbetsu.html
幌延殖民軌道問寒別線管理人が、当サイトの立ち上げを思いつくにい至るには、問寒別殖民軌道を記録した写真の存在が発端となった。地図収集、鉄道巡り、廃線跡巡りを通じて、北海道の各地に殖民軌道や森林軌道が驚くほど奥深くまで張り巡らされていたことを知るようになった私は、
http://moritocoa.exblog.jp/10922839/
2008年09月20日・北海道天塩郡幌延町字上問寒カメラを向ける廃墟の数々出逢いと別れを繰り返し歳月は刻々と過ぎる不変不朽の願いが叶うことはない●CanonEOS40D EF-S10-22mm1:3.5-4.5◇◇◇◇◇道路整備や自動車の普及していなかった時代