六連島信号所 関連ブログ・参考リンク
http://www.asahi-net.or.jp/~rc2t-ttm/wadati/030918a.htm
後ろに見えている建物は、門司海上保安部六連島信号所の廃墟。六連島灯台のLB-40型灯器。六連島灯台の灯火は、初点時の石油灯から大正14年に高圧式アセチレンガス灯になり、その後に自家発電による電化を果たしたそうだ。船が出るまで2時間はたっぷりある。天気が良いので
http://heyaneko.web.fc2.com/dj24.html
雑草をかき分けて着いた三階建ての建物の一階は吹き抜け。建物近くの草は刈られてすっきりしています。階段を上がると,入口に「門司海上保安部六連島信号所」という木製の看板がありました。探索したところ,二階が官舎,三階が信号所の施設の様子でした。..#24-7六連島信
http://kawasemiblue.blog.so-net.ne.jp/2012-07-21
こんな廃墟があります↓漁業監視所?海上保安庁の建物みたいですが草ボウボウで近付くのが困難だったのでパスしてメインの灯台をじっくり見ることにします。この六連島灯台は明治4年にイギリス技師リチャード・ヘンリー・ブラントンが建てた石積みの美しい灯台です。1866年の
http://blog.goo.ne.jp/hikochu38sotu/e/eb6a222fa8241a6e3bc07a6c810347c6
内階段から三階に上がりますと、「門司海上保安部六連島信号所」の看板がありました。どのような仕事をされていたのでしょうか。近くに「鬼塚隊高射砲陣地進入碑」なるものがありました。この碑は「鬼塚隊」の主導のもとに建立されたものだと思います。「進入」「展開」の語彙は旧
https://blog.goo.ne.jp/hera_001/e/a6fb7bb3541bc16d1bb84403c61e3885
先日紹介した近代遺跡調査報告書に英国人技師R.H.ブラントンが設計したという六連島灯台が掲載されていたので今回探訪してみた。かつて石造の灯台や石造の吏員退息所、倉庫、木造の官舎、物置などがあったようであるが現在は石造の灯台本体と当時の石塀や石垣、礎石などが残さ
http://www.din.or.jp/~heyaneko/dj24.html
雑草をかき分けて着いた三階建ての建物の一階は吹き抜け。建物近くの草は刈られてすっきりしています。階段を上がると,入口に「門司海上保安部 六連島信号所」という木製の看板がありました。探索したところ,二階が官舎,三階が信号所の施設の様子でした。..# 24-7六連島信号所は明治33年設置。主に航行安全のために稼動し,昭和59年廃止。84年もの間,関門海峡を見守ってきたのですね。三階の窓からは,海峡(響灘)を見渡すことができ,普段見なれない外国籍の大きな貨物船がゆっくりと航行していました。船がほとんどの外国との交易を占めていた時代は遠い昔ですが,信号所跡は,往時と同じようなゆったりした空気が流れていました。