貝島大之浦炭鉱 関連ブログ・参考リンク
http://allxa.web.fc2.com/archi/industry/coalmine/kaijima6.html
福岡県の宮若市は、宮田町と若宮町が2006(平成18)年に合併してできた自治体だ。かつて、この地域には、麻生・安川と並ぶ“筑豊御三家”の貝島家が経営する炭鉱があった。閉山後、ほとんどの炭鉱施設は解体されたものの、いくつかの遺構が市内に点在している。そのうち特に
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宮若市長井鶴にあった貝島大之浦炭鉱の一つ桐野(宮田駅)から伸びる支線の行き先である六坑現在付近は住宅地や病院、変電所などがある。左隅にはいつもお世話になっている長井鶴の交通公園の敷地、(画像は「航空写真画像情報所在検索・案内システム」より)六坑拡大この鉱業所と
http://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-11245589879.html
今回からは、宮若市に突入します宮若市と言えば、貝島炭鉱が有名ですね今日は、貝島大之浦六坑の遺構を紹介します(昭和46年航空写真)ちょっと、ずれてますが坑口跡には、記念碑があります続いては、長井鶴にある巻き上げ台座です地元の方が教えてくれましたモジャが凄くてすみ
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かつて宮田線の磯光駅(廃止)から宮田東小学校西側を通って宮田光陵中学校方向へ貨物支線が延びていた(菅牟田貨物駅まで)これが菅牟田積出場からの石炭運搬専用線です。昭和49年頃(画像は「航空写真画像情報所在検索・案内システム」より)現在の元線路道真直ぐな道、元線路
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久々に貝島炭鉱関連の投稿その他関連投稿は以下・宮田線跡・大之浦炭鉱(桐野)・大之浦炭鉱(菅牟田)・大之浦炭鉱(六坑)・大之浦炭鉱(二坑運炭線遺構その他)・ボタ山・宮田駅(廃)桐野積込場跡・古い運炭線跡(1)・古い運炭線跡(2)宮若市の磯光地区(広いけど)菅牟田
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大之浦一坑と二坑は斜坑による採炭だった。その関連遺構がBGセンター付近に残ってます。斜めになってますが、撮影ミスではありません坑口は丘の上だったので、傾斜がついてます。その後この遺構は桐野の選炭場からのボタ運搬線らしい事が判明反対から、何かの発射台にも見えるか
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古い運炭線跡を巡る探検(後ほどその意味が判ります)の続きはここからですね線路を想像しながら進まないとなんの変哲も無い生活道路そして行止りみたいに見えますが..実は正面の軽自動車の右横のモジャってる小道が線路跡ココからは私有地みたいな雰囲気なので様子を見ながら進
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まずは以前に投稿のこの遺構二坑の運炭線遺構と書きましたが...イマイチ自信が無い(^^;*ボタ運搬線の橋梁らしいですこのブログではあまりややこしい事は書きたくないけど以下の古い航空画像から1961年の宮田駅周辺画像(画像は国土交通省より)丸囲みが発射台形状の遺
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久々の貝島炭鉱跡地かつて筑前宮田駅には貝島炭鉱の石炭積込場があった。他には磯光駅から分岐した菅牟田駅にもあったがそちらは宅地化が進んで今ではホームの痕跡すら残って無いのでパス筑前宮田駅跡かつての改札付近、ホームのスロープが駅してます。この駅の奥に広大な空地があ
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ボタ山シリーズですが、今回は現在も結構しっかりボタ山してる貝島さんトコのひとつです。以前投稿の貝島鉱業大野浦坑記事はこちら竪坑があった大之浦第三坑(菅牟田)当時の画像からボタ山は4山見える。ただ、どの順に積み上げたかは不明(画像右側は五坑方面)五坑寄りのボタ山
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貝島大之浦炭鉱1976年(昭和51年)閉山宮田町(現在宮若市)にあった炭鉱、筑豊炭鉱御三家の一人貝島氏が経営していた。鉱業所は数箇所あって、今回は桐野(宮田駅付近)採炭は初期では斜坑によるものであったが、のちに露天堀が主流になり、菅牟田には竪坑もあった。専用線