筑紫炭鉱 関連ブログ・参考リンク
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/200.html
筑紫炭鉱旧山田市(現嘉麻市山田)の奥(筑紫地区)にあった炭鉱鉱区データによると、坑主は個人名義で明治30年代から記録があるが、開坑としては不明。その後坑主は変わって昭和期には野上鉱業→東邦炭鉱→川崎炭鉱→高倉鉱業→野見山鉱業。昭和35年2月?に坑内出水事故で6
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/435.html
以前の投稿から1年以上経ったある日、帝王さま&宇垣おぴょぴょさまと来た時の画です。投稿忘れてたので今更ですが...(^^;道路から遺構までの距離が近くモジャも比較的少ない跡地前回投稿とダブりますが以下各遺構です多分巻揚機台座結構大きな設備があったんでしょうなあ
http://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-11294431588.html
今日は、筑紫炭鉱をアップしますこちらは、嘉麻市筑紫地区にありますしかし、ふつうに林の中に遺構があるのでビックリしました昔の航空写真にも何やら確認できます(昭和49年の航空写真)林の入口には、林に入るとすぐに、これです台座でしょうか、周辺にも遺構がゴロゴロとポケ
http://www10.tok2.com/home2/kurodaiya/kyushu-html/tikusi/tikusi-1.html
筑紫炭鉱筑紫炭鉱に残る遺構。一見すると坑口のようだが、実際は巻座の跡のようである。近くにも巻座が。トライスターさんにご協力いただき、人間との大きさを比較してみた。少し離れた場所にも。筑紫炭鉱跡では巻座が複数確認できたが、坑口は発見できなかった。巻座跡近くにある
http://tristar.at.webry.info/200908/article_14.html
今回は先日の熊ヶ畑からの続きになります!熊ヶ畑地区で炭鉱めぐりをして山田市の筑紫地区に行きました。この筑紫地区にはかつて筑紫炭鉱と、矢浜炭鉱がありました。ここの鉱区はかつて数鉱区に分かれて鉱業権者は個々別々だったそうです。採掘権が人から人へ目まぐるしく変わりま