http://kinno-homepage.sakura.ne.jp/mineral/akagine.pdf
http://k-hananodou.com/1-1-2-6/2-6yama.htm
鉱山探訪備忘録 群馬県沼田市赤城根鉱山 快晴出かける前に、庭を一巡り。 朝の9時です。 スモークツリーの、その名の通り煙のような花が咲いています。淡いピンク色です。 アンズの樹の木陰が涼しげです。実が熟したら杏酒を作りましょう。去年物がもうすぐなくなります。 前庭のアーチのハニーサックルがよい香りです。 今日は暑くなりそうです。 さ、行きましょうか!沼田まで高速で1時間ほど。インター降りて62号線、行きつ戻りつたどり着いたのが11時くらいです。石垣とズリ、その向こうにきれいな川が見えます。 石を割るのに丁度よい岩が所々にあります。先人たちの格闘の跡が・・・結構な傾斜で、態勢を維持するのが難しく、腰に来ます。(^^;) 足を滑らせたら崖下の川へドボンです。高さがあるので危険。お腹がすいたので、切り上げます。 こちらで手を洗わせてもらって、車中で黒酢と胡麻のおにぎり、ぬか漬け(畑で取れた初物の胡瓜と大根)でいただきます。 あ、筍の塩漬けも。帰りがけにまた外神山へリベンジ!アメジストを手に入れたいものです・・・。今回採取した石たち。赤城根鉱山は金、銀 銅、亜鉛、鉛などを採掘 し、元禄14年(1701) の「柿平村銅山役人 十 兵衛 万諸道具並金子請 取帳」という文書が残さ れていることから、この ころには採掘がおこなわ れていたと考えられます。最盛期は明治31年(1898)から35年(1902)頃といわれ、所員40人、鉱夫500人がいたそうですが、昭和30年(1955)に閉山しました。今回、水亜鉛銅鉱、青鉛鉱、黄銅鉱、水晶が採取できましたが、結晶があまりありません。 外神山では、2,30分で切り上げ、苺を買って帰りました。 何となく、ラベンダー・・・ではでは。
https://geolog.mydns.jp/www.geocities.co.jp/kouzan_by_gnma/akagine01.html
赤城根鉱山大きな地図で見るこの辺りをドライブしていたとき、昔鉱山があったげな雰囲気がした。しかし、この地には大きな砕石場がある。なら鉱石は取れないや、と思い暫くこの地の事を忘れていた。が、鉱物マニアの方のHPでこの鉱山が紹介されているではないか。その方(勝手に「先生」と呼んでるので以後「先生」と記載する)によると地図上の赤丸の位置でズリ場を発見したらしい。また近いうちに再調査に行くらしいでの、その周辺の調査は先生に任せる、こちらは坑道をメインに探させてもらうことにする。先生のHPの資料の坑内図を見る限りこの鉱山の規模は大きく、もし坑道が発見できれば群馬県内の鉱山事情が大きく変わると勝手に思ってたり。適当に探しに行っても見つかる訳ないのでまずは鉱区の見当を付ける。鉱区は南北に数百メートル延びていて、鉱石の搬出用と思しき坑道(資料によると大切抗と記載されている)が西から鉱区に突き刺ささっている。鉱山事業所リスト(関東・上信越編)情報によると現在稼働中の砕石場の土地に鉱山施設跡があるらしい。砕石所の位置と資料の大切抗の位置を合わせ縮尺を合わせると、鉱区の範囲と良い、標高と良い、完璧に一致した。それでは実際に行ってみて南北の入口を探そう。道路から山側を注意深く見ると所々石垣が残っている。落石が多い場所なので治山関連の石垣かもしれないが・・。現在では林業が盛んな地域故、林業用の道が多い。その中でも鉱山道路っぽい位置を選び山へ進む。道に沿ってしばらく歩くと道が分からなくなるが地形図を見ながら、まずは南の坑口を探す。予想エリア付近、ズリが散乱した場所を登っていくと坑口らしきものを発見した。位置的にはここの筈だが、坑口というよりは釜戸みたいな形状をしている。周辺にしっかりとした坑口探すが見つからず。林業関係で炭でも作ってたのか・・。次は北側の坑道を探す。予想エリア付近で坑道らしきものを発見。またしても釜戸の形状。付近を探すと、坑口が閉塞したように見え無くもない箇所を見つけた。が、当然内部に入ることは出来ず。資料を見て他の坑口を探すが、見つかったのはこの坑口のみ。石を積んでわざと閉塞したように見えないことのない。当然中は入れるわけも無く、散策を終了する。坑口以外には陥没したような場所を二か所見つけた。全ての情報を統合すると、中には入れない、と結論。最後に先生の見つけたズリ山を見学。大規模鉱山という事で期待していたが、大した遺構もなく、とても残念な結果となった。まとめ紫:坑口モト゛キ橙:陥没箇所HOME 鉱山一覧CloseClose