豊川海軍工廠 概要・歴史

豊川海軍工廠(とよかわかいぐんこうしょう)は愛知県豊川市にあった日本の海軍工廠。機銃、弾丸の製造を行った。当時は東洋随一の規模とされた。

1939(昭和14)年12月15日開廠。1945(昭和20)年8月7日に激しい爆撃を受け壊滅した。この空襲により、およそ2500名が犠牲となった。再建されることなくそのまま終戦を迎え、1945(昭和20)年10月5日に廃止された。

その後、跡地は陸上自衛隊豊川駐屯地、日本車輌製造豊川製作所、コニカミノルタ瑞穂サイト、豊川市役所、名古屋大学太陽地球環境研究所、テクノス株式会社などになっている。このうち太陽地球環境研究所の敷地内には、250kg爆弾が落ちた穴や、米軍機に機銃掃射を受けた倉庫などが残り、年に2回見学会が行われていた。

2018年6月9日に跡地を整備した豊川海軍工廠平和公園が開園。関連施設が保存・公開されている。

このうち旧第三信管置場(豊川市指定史跡)は、弾丸の起爆装置である信管を保管した施設で、爆発事故が起きた際に周囲に被害を及ばないよう、高さ約5mの土塁で囲われ、土塁内には南側のトンネルを介して出入りするようになっている。建物規模は東西21m、南北10mで、東西方向の廊下の北側に三つの部屋が並ぶ。壁と廊下の屋根は鉄筋コンクリート、部屋の小屋組は木造となっているが、これは事故の際に木造の屋根を吹き飛ばすことにより、鉄筋コンクリート造りの躯体を残すためだとされている。南北両側の壁上部に設けられた照明器具は、通気口のある部屋外側の扉を開閉して電球の交換を行う構造で、室内がは擦りガラスで密閉されているが、これは照明器具が発する熱を室内に入れないためだという。

また、旧第一火薬庫(豊川市指定史跡)はラーメン構造の鉄筋コンクリート平屋建てで、構造体に土をかぶせているため建物の外側は見えない。東西47.75m南北37.40m、トンネル状の東西通路の北側に三つの部屋が並んでおり、部屋の出入り口部には木製足場が並んでいる。

他に水槽跡防空壕跡などの遺構を見学することができる。

状態
2018年11月26日 更新

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豊川海軍工廠 住所

愛知県豊川市穂ノ原3丁目

豊川海軍工廠 種類

軍事施設・戦争遺構

豊川海軍工廠 画像・写真

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豊川海軍工廠

豊川海軍工廠 ストリートビュー・空中写真

豊川海軍工廠 ブログ・リポート

戦争遺跡 豊川海軍工廠 その1 -underZero-
http://underzero.net/html/tz/tz_494_1.htm
豊川海軍工廠その1海軍工廠は海軍の艦船・兵器・航空機などの製造、修理を行う大規模な工場で、大正期までに横須賀(神奈川県)など5か所に設立されていた。さらに、日中戦争の激化や太平洋戦争の開戦によって兵器増強の必要性が高まると、今回紹介する愛知県豊川市の豊川海軍工
豊川海軍工廠
http://www.geocities.jp/takechan_mori/chibakengai/toyokawa.html
豊川海軍工廠愛知県豊川市に残る巨大な戦争遺跡を紹介します。文責:森兵男一部写真、火工部跡地取材:森-CHAN巨大な兵器工場豊川海軍工廠1936年(昭和11年)、日中戦争前夜の時期に、ときの海軍は新たな海軍工廠として東三河の豊川の地を選んだ。海軍工廠とは、海軍直
戦争遺構 豊川海軍工廠跡地をみた。: nomad
http://nomad.air-nifty.com/blog/2011/09/post-ee6d.html
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豊川海軍工廠跡 1  : -廃虚日常記録帳-
http://blog.livedoor.jp/kuubohosiina/archives/25689587.html
”豊川海軍工廠跡地”行ってきました。数年前から、気になっていた物件でしたが、ようやく見学会に参加することに豊川海軍工廠とは昭和14年に開庁し20年の解散式までの10年に及ぶ兵器工場であり、機銃、弾丸、測距儀、双眼鏡、などを生産し、機銃に関しては日本最大の規模で

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