http://teitowalk.blog.jp/archives/5986691.html
塔方向へ戻ります。 ひめゆりの塔を過ぎて名城バイパスに入り、地名が伊敷から真栄里に変わる直前にある大きな交差点のすぐそばに、伊敷轟洞穴遺跡と呼ばれる巨大な洞穴があります。 ここは轟の壕とも呼ばれ、沖縄戦末期、敗残の日本軍と避難民が立てこもり、アメリカ軍の攻撃や日本軍による避難民の虐殺で多大な犠牲者がでたと言われている壕です。 沖縄県平和祈念資料館で、そのジオラマを見ることができます。 轟の壕にいた . 4, 振り返れば廃墟(1)「伊香保神社と石段街」. 5, 昭和の
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轟の壕は伊敷集落の南西約500mに位置する自然洞穴である。直径約30cmの円筒形の窪地(ドリーネ)があり、その地下に全長約100mの自然洞穴が東西に延びている。洞穴内で起こった悲惨な状況について体験者の証言が記録されていることや地理的条件がよいことなどから平和