釜石鉱山 概要・歴史
斜面に残る選鉱場基礎跡
釜石鉱山(かまいしこうざん)は岩手県釜石市にある鉄鉱石鉱山。主要の鉄以外に金・銀・銅・鉛・亜鉛なども産出した。
発見は1727(享保12)年に遡るという。1849(嘉永2)年に三河の高須清兵衛と陸中の中野大助とが合資で大橋に旧式高炉を建設、1857(安政4)年には南部藩士大島高任が日本初の高炉を使った出銑に成功している。
1874(明治7)年より官営鉱山となり、1878(明治11)年に鈴子精錬所が完成。1880(明治13)年9月から官営製鉄所が稼働するも三ヶ月ほどで休止。その後も再開と休止を繰り返し1883(明治16)年に廃止され、その後は民間により開発が進められる。
1924(大正13)年に三井鉱山株式会社の所有となり、釜石鉱山株式会社と改名。1939(昭和14)年に日鉄鉱業の子会社となる。
戦後の1950(昭和25)年には銅鉱床を開発、鉄・銅の併産体制となり、1952(昭和27)年に銅鉱石の選鉱場が完成。1954(昭和29)年より本格的な銅精鉱を開始、戦後日本では有数の銅鉱山となった。
1992(平成4)年に銅鉱石採掘は中止され、1993(平成5)年に大規模な鉄鉱石の採掘も終了したが、研究などの用途で現在も年間100トン程度の採掘がおこなわれている。また、鉱泉水を利用したミネラル・ウォーターが製造されているほか、地下空洞が地質調査や地震計設置などに利用されている。
鉱山には1912(大正元)年9月に大橋分教場が開設され、1917(大正6)年に私立大橋尋常小学校となる。1938(昭和13)年に校舎新築、1947(昭和22)年に中学校を併設、1951(昭和26)年に学校法人釜石鉱山学園となった。昭和40年代からの釜石鉱山の合理化の中で1967(昭和42)年に学校法人は解散、市立大橋小中学校となり、さらに1968(昭和43)年に中学校は大松中学校に、1973(昭和48)年に小学校が大松小学校にそれぞれ統合となり閉校した。
鉱山住宅等はすべて解体されており、選鉱場の地上構造物も撤去されているが、山の斜面に巨大なコンクリートの基礎が見られ、手前にはシックナーの石垣も残っている。
釜石鉱山鉱山事務所が資料館として整備され一般公開されているおり、電気トロッコによる坑道見学ツアーが年に数回開催されている。付近には1934(昭和9)年に導入され1948(昭和23)~1949(昭和24)年頃に新山下部坑で盛んに使用されたマインカーローダー(ガードナーデンバー社製)、1929(昭和4)年に導入されたバトラーショベル(ノードバーグバトラー社製)などが展示されている。バトラーショベルは1933(昭和8)~1934(昭和9)年にかけて新山500m通洞坑で全長約800mの掘進に活躍、1937(昭和12)年には新山350m通洞坑の開削に用いられた。
また江戸時代に用いられた大橋鉄鉱山一番高炉、同ニ番高炉、三番高炉の案内板、明治期に用いられた釜石鉱山田中製鐵所第三・第五高炉、釜石鉱山専用汽車大橋駅の案内板が設置されているほか、史跡釜石鉄山大橋高炉跡の碑、鉱山神社などがある。
付近の陸中大橋駅には巨大なホッパーが残り、観光案内板が取り付けられている。
2007(平成19)年に近代化産業遺産に認定されている。