広田鉱山 概要・歴史

広田鉱山は、愛媛県伊予郡砥部町にあった銅山。国道379号線沿いに位置する。

1925(寛永2)年頃に発見されたと言われる。

1907(明治40)年より宇宝合名会社により操業開始。金・銀・銅・硫化鉄鉱が採掘された。1919(大正8)年4月より久原鉱業(株)が稼行。

広田鉱山~日浦に索道が設置され、日浦から郡中までは大瀬鉱山の為に設置されていた索道で鉱石が運ばれたという。

昭和恐慌の煽りを受け、1930(昭和5)年に廃止。

太平洋戦争中の1943(昭和18)年4月より再開するが、1944(昭和19)年6月に中止。

戦後、日本鉱業(株)により1950(昭和25)年~1952(昭和27)年に探鉱されるが、1954(昭和29)年9月に休山。1964(昭和39)年12月より再鉱、1970(昭和45)年9月に廃坑になった。

「道の駅ひろた」のすぐそばにホッパー、トロッコ橋の巨大なコンクリート遺構が見られる。「道の駅ひろた」は鉱山事務所跡に位置している。

状態
2011年09月15日作成  2019年09月07日更新

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広田鉱山 住所

愛媛県伊予郡砥部町総津

広田鉱山 種類

廃鉱・採石場跡

広田鉱山 画像・写真

広田鉱山
広田鉱山

広田鉱山 ストリートビュー・空中写真

広田鉱山 スポット

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もこちらで開催されますね。 この場所は「広田鉱山」があった場所で- ホッパー” という施設だったり、 砥部町内には廃坑やその名残がなにげに残っています。 国道を 道なりに広田橋を渡って200m先、車屋さんのある丁字路が-. 多居谷 ( おおいだに ) 地区
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ひろたほたるまつり」の会場もこちら。 また、この場所はひと昔前、「広田鉱山」があっ た場所で- 玉銅橋」という鉱山時代の名残っぽい名前だったりします。 銚子滝の道端 にある という施設だったり、 砥部町内には廃坑やその名残がなにげに残っています。
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砥部町の「道の駅ひろた」。駐車場から、玉谷川を挟んだ対岸の山手を見て驚いた。コンクリート製の大きな建造物の廃墟が見えるではないか。あれは一体なんなのだ。確認しないと気が済まない性格だから、早速、廃墟をリサーチ。「道の駅ひろた」の駐車場そばにある吊り
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株式会社NTO 井戸掘りのすすめ         (愛媛県松山市) 広田鉱山の廃墟
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砥部町(旧広田村)に「道の駅ひろた」があります。この道の駅の駐車場から対岸の山を見ると、銅鉱山であった広田鉱山の廃墟が見られます。広田鉱山は、明治40年5月、宇宝合名会社により採掘権登録第56号、第67号、第159号の三鉱区が設定され、上層は千枚銅金(低品位)

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