山崎峠廃墟(三安鉱山) 関連ブログ・参考リンク
http://www11.plala.or.jp/yamagutiya/page017.html
山崎峠の先に謎の廃墟が・・・ . 梁の跡であろうか、太い材木が通されていたようだ。 若松の鶴ヶ城の大手門でも同様なものがあったような気がする。 が、斜面に向かって 突き出ているのは不可解。 . 有望なものはなく、近くの古い鉱山跡も探鉱するらしいが 、
http://dtm-rt.o.oo7.jp/3.dtm/6.ObRoad-Diary/project-2/001.kendou107/hido_deta2.html
C区間 (山崎峠県境~藤田駅踏み切り) :区間長:11.9Km (未舗装8.2km) 4月の 山崎峠。県境宮城県側に向けて建つ、だまし絵のような福島県表示。 接続する鳥取線に は、まだ残雪があった。 実は当時の鉱山の廃墟がまだ残っており、 「山口屋」様の
http://yamaiga.com/road/yamazaki/main4.html
これが、噂に聞く三安鉱山というものだろう。対岸の斜面の稜線から谷底に至まで、段々となって残雪がその遺構を鮮明に映しだしている。この鉱山については、相互リンク先サイト『山口屋へようこそ!』さんに詳細な踏査レポートがあるので、参照されたい。どうやら、昭和18年頃ま
http://zunda225.blog.fc2.com/blog-entry-94.html
なお、河北新報社「みやぎの峠」には以下のような記述も残っている。峠の近くには昭和18年頃まで三安鉱山があり、最盛期には1000人以上が働き、学校や映画館まであった。確かに七里沢隧道を通過後、意識して観察しているとそれらしい窪地を遠目ながら見ることができた。時間
https://nobuserow.at.webry.info/201205/article_4.html
「三安鉱山」と言う、最盛期には学校や映画館まであったらしい。鉱山跡は左へ行くが、行ったら帰れそうにないんで先へ進む。Y字路の先も荒れた路面が続く。