http://blog.livedoor.jp/darker916/archives/11741759.html
2014年8月中旬約1週間ほどの夏季休暇を利用して北海道旅行の計画を立てた。4年前のリベンジを誓い。廃墟や普通の観光や、フェスといった盛りだくさんの予定だ。初日は午後、飛行機で新千歳へ降り立った。その日は札幌で一泊するだけの日。翌日からいよいよ出発。2日目、早
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kitanohosomiti/top5601.html
ビルド鉱のエース石勝線沼ノ沢駅は明治38年開駅。付近に沼があったため、この名がついたらしい。当初は貨物駅だったらしいが、現在、旅客駅としても寂しい状態だ。真谷地炭鉱方面に向かい、揚炭坑口付近に進む。今は人家も疎らだ。揚炭坑口であるベルト斜坑(3,154m)と材
http://reminscence.blog.fc2.com/blog-entry-40.html
夕張新炭鉱。新鉱とも呼ばれ、期待の新生とも言われたエネルギー転換期にスクラップアンドビルド政策で躍進炭鉱の一つとして新たに開発された夕張の北部炭砿だった。夕張新炭鉱は1975年に誕生し、立坑櫓も新しく造られ構内設備も全て新設ということから当時の炭鉱業界の中では
http://rurounotami.la.coocan.jp/tanto_yubarishin01.htm
北炭夕張新鉱編93人もの犠牲者を出した北炭夕張新鉱を語る上で避けて通れないのが、1981年(昭和56年)10月16日の大惨事である。海面下810メートルの北第五盤下坑道の掘削作業現場で、大量のメタンガスが突出。さらに坑内火災で二次災害が起きた。火災鎮火の為、坑
https://www.sci.hokudai.ac.jp/grp/mkawa/mkawa_web/kawamura/geol_blog/geologic_heritage/5d991cdf2b278a15e5f242a74871adf719e23ce2.html
夕張新炭鉱せっかく作ったこの新カテゴリーですが,いざ書こうとすると,とにかく気が重いカテゴリーであるということに,いまさらながら気づきました.私は2年生の講義『堆積学』を,18世紀の産業革命から説き起こすことにしています.この時代,人間の社会を根本から変えたの