八谷鉱山 概要・歴史
県内最後の金属鉱山
八谷鉱山(やたにこうざん)は山形県米沢市にあった鉱山。
1887(明治20)年頃に開坑。金、銀、鉛を採掘したが、品位が低く、1889(明治22)年頃に休山した。しかしその後も細々と採掘が行われたらしい。
1952(昭和27)年8月に三菱金属鉱業が買収、翌1953(昭和28)年に開坑し只見鉱業に移管。1955(昭和30)年には約1000トンの鉱石を細倉鉱山に送っている。
1956(昭和31)年に尾富鉱業(おっぷこうぎょう)に移管。1958(昭和33)年には本鉱脈に到達。
1960(昭和35)年に日本初の坑内地下選鉱場が完成。延長70mで、月産3000トンの処理能力を備える。1973(昭和48)年には鉛、亜鉛を月に11,300トン処理するまでになった。
1965(昭和40)年には金・銀鉱が発見され、月800トンほどを生産する。1973(昭和48)年には1500トンを処理するまでに成長している。
坑道の総延長30キロに及び、1975(昭和50)年12月時点で総従業員数214名を擁し、粗鉱13万2千トンを生産した。
昭和後期の円高や非鉄金属の価格の暴落で経営が悪化、他の鉱山が次々と閉山する中、県内で唯一の金属鉱山として生産を続けたものの、人員整理を余儀なくされ、1986(昭和61)年には従業員数も99名まで減少している。
比較的価格の安定している金・銀の採掘で存続をはかったが、国際情勢の変化に対応しきれず、細倉鉱山、明延鉱山と同時期の1988(昭和63)年3月2日に閉山した。
現在も鉱毒防止の廃水処理が行われている。
選鉱場跡、封鎖された坑口跡などの遺構が見られる。
付近には大峠鉱山(大峠陶石(株)によりロウ石採掘)、加納鉱山、興内畑鉱山などがあった
2017-12-07
2022-06-18