高山鉱山(西予市) 概要・歴史
積み出し施設跡などが残る
高山鉱山は愛媛県西予市(旧・西予市明浜町)にあった鉱山。
同地では嘉永2年(1849)から石灰石が採掘されていたという。1872(明治5)年には石炭を筑前若松港より購入して石灰焼の燃料とした。
大正中期には第一次世界大戦後の不況や化学肥料の普及により肥料用石灰の需要が後退する。昭和初期に最盛期を迎え、販路は遠くジャワ・北支・台湾・朝鮮にまで拡大されたという。
1937(昭和12)年7月に津田福太郎から日本製鉄(株)が買収、日鉄高山鉱山として開発するが、太平洋戦争による石炭不足などで1943(昭和18)年に休山。さらに敗戦直後の1945(昭和20)年9月には台風により南向き湾頭の石灰工場はほとんど破壊された。
1947(昭和22)年4月より鈴木商会が消石灰原石山として操業。1953(昭和28)年4月に日鉄鉱業(株)として鉱業権を設定。
1961(昭和36)年1月、鈴木商会が租鉱権を設定、月産2万tで操業を再開。1967(昭和42)年5月に鈴木産業(株)として租鉱権者名を変更。
1970(昭和45)年10月時点で月産7万tの態勢があったが、1979(昭和54)年に閉山となった。
海岸沿いに積み出し施設跡が残るほか、、ふるさと創生館脇、あけはまオートキャンプ場きゃんぱ付近にコンクリート遺構が残る。海岸沿いの遺構には落書きがされている。
(※参考:雑誌『石灰石』(石灰石鉱業協会、1976年3月))
2017-12-14
2024-01-31