http://kodou.lolipop.jp/sawada-tyoba-n.htm
もう一つの沢田石丁場探索2007年11月24日再訪果たす河津町は沢田石の田中側丁場探索に失望した私たちは、翌週、再びかの地を訪れた。まだ有るはずの、丁場の姿をこの目で見るためである。今回もS川隊長の地道でありながら綿密かつ大胆な事前調査によって、その分布域は押
http://yoshio-niikura.cocolog-nifty.com/tanabota/2016/06/post-6a89.html
南伊豆の山中にあったという『沢田鉱山』を探していた。鉱山といっても正確には『沢田石丁場』、つまり沢田石を切り出した石丁場の跡だ。沢田という地名は今もあるので、地形図からそれらしき道を辿ってすでに複数回探ってみた。最奥の人家を過ぎ、さらに登る。この辺りはまだ簡易
https://mykoho.jp/article/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E6%B2%B3%E6%B4%A5%E7%94%BA/%E5%BA%83%E5%A0%B1%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%81%A5-%E4%BB%A4%E5%92%8C3%E5%B9%B412%E6%9C%88%E5%8F%B7/%E6%B0%91%E9%96%93%E5%BA%83%E5%A0%B1%E5%8D%94%E5%8A%9B%E5%93%A1%E7%89%B9%E9%9B%861/
■01 Chapter 沢田石が物語る夢の跡名前のごとく沢田地区の石丁場で採掘されていた「沢田石」。今から約200万年前の火山灰が堆積してできた緑色凝灰岩(ぎょうかいがん)。昔から石材として利用されていた沢田石の歴史を町史編さん委員の宮本達希さんに聞きました。◆解明されつつある沢田石河津の沢田石が昨年3月21日、伊豆新聞で大きく取り上げられ、注目されました。沢田石に関する史料はほとんどありませんでしたが、平成に入り石材商の鈴木家(沢田)の文書が発見されたことにより、沢田石の産業がどのような形態だったのか少しずつ解明されつつあります。鈴木家は、今の沢田涅槃堂駐車場にあり屋号は「水落(みずお)とし」と言いました。屋敷はすでになくなっており、文書は以前の蔵の解体時に見つかりました。蔵には明治時代の教科書や図書類、昭和初期の河津の絵はがきなども保存されており、どれも河津の貴重な史料として今後の調査に大きな期待が寄せられています。
https://hurusato.i-ra.jp/a1036105.html
おはようございます、案内人です。先週の火曜日(6月20日)に「公開講座 沢田石の石丁場跡見学会」を開きました。会員と一般参加者合わせて34人が参加しました。 午前9時に沢田地区の涅槃堂駐車場に集合。日程説明や準備運動をした後、まず涅槃堂と堂の裏山にある展望台を見学し、石丁場跡に向かいました。