https://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-11517974295.html
福島町から内陸部に戻り松浦市に入る。調川地区旧炭鉱調査を行う。この地区にも数多く炭鉱があったと記載があります、(昭和52年の航空写真)この年代の航空写真ですが施設痕跡を確認。国道沿いから内陸部に入って行くと旧炭鉱跡地に着きます。まず旧江口炭鉱跡地を探索します。
https://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-11518185678.html
前回の続き、周辺の探索を開始して歩いていると、森の中にレンガの建物が、あの床は変電所ですね。中は壁が青い。変電所の周辺にも、コンクリートの遺構です。タンクでしょう。結構遺構が残っています。歩きながらふと思ったのですが坑口も残っているのか?巻上機の方向を考え沢を
http://hayabusa-3.dreamlog.jp/archives/51275444.html
中興鉱業江口鉱(松浦市調川(つきのかわ)町下免(しもめん)・・・、昭和11年に設立した中島徳松氏・経営の中島鉱業株式会社の名で呼ぶ人も多いかと思います。中島鉱業の沿革について述べると、やたらと複雑になるので大半は割愛しますが、江口鉱は「中島江口」「大成」「中島志佐」の3鉱を統合したものを「中島江口炭鉱」と称し、鉱業所本部を調川・江口に置きました。昭和33年1月中興鉱業は中島鉱業時代に欠食児童を出し、学校やPTAにお世話になったとして調川小・中に対し放送機器・ラジオ・スピーカーを寄付しています。そして2月には中島鉱業を吸収合併し、中興鉱業と改称しました。順風満帆の船出か、という時に大事故はおきました・・・・