新茂原貨物駅は千葉県茂原市の廃駅。 1986(昭和61)年に開業した貨物駅で、当駅で三井東圧化学専用線...

新茂原貨物駅

新茂原貨物駅 概要・歴史

新茂原貨物駅は千葉県茂原市の廃駅。 1986(昭和61)年に開業した貨物駅で、当駅で三井東圧化学専用線...

新茂原貨物駅 画像

新茂原貨物駅と三井東圧化学専用線
©国土地理院
新茂原貨物駅(2023年6月)
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https://ameblo.jp/lunchapi/entry-12522552677.html
外房線新茂原貨物駅と三井東圧化学専用線の話昨日臨時快速「青い海」号で蘇我駅まで来て外房線に乗り換え外房線を下ると新茂原駅の手前の田園地帯に唐突に貨物駅が出現しますそこから三井東圧化学工場までのびる線路正確には線路がありました外房線の車窓からいつも見ていた光景今回、新茂原駅で初めて下車貨物駅まで線路沿いに歩いてみます田んぼの中を進むと貨物駅の廃墟が現れます新茂原貨物駅(正式名称なのか通称なのかは不明)なにより最近ここで銀座線旧型車両の解体が頻繁に行われているらしいのですそれも見られればと今回はるばる来てみたのですが残念ながらすでに解体ショーは終了、誰もいませんでも凶器の重機はそのままさらに車両を陸送してきたと思われるトラックもいましたこの車輪は銀座線の残骸かしら?貨物駅は畑沿い農道からのんびり見ることが可能田んぼも広がってホントに長閑な場所ですこの貨物駅だけが 違和感ありあり(苦笑)廃止貨物駅ですがいろんなものがそのまま残っています
http://bosoview.sakura.ne.jp/loco/shinmobara/shinmobara.html
新茂原貨物駅跡地を訪ねる2016年7月18日 更新 外房線にも貨物列車が運転されていたことがあり、1941年に旧海軍茂原航空基地への引き込み線が設置されたのが最初。土気~大網の急勾配の運転が厳しいため、千葉~佐倉~成東~大網~新茂原のルートが取られていた。1986年に新茂原貨物駅が開業し、営業を開始した。,新茂原貨物駅から三井東圧化学への引込線も新たに新設されたが、僅か10年1996年に取扱が中止となり、大網駅の連絡線も廃止となった。しかし線路や施設は殆ど残されており、今も当時を忍ことができる。 電車内から撮影。本納駅側。 本線から入って行く線路が手前に見える。 クロッシングがあった。 2線が長く延びていた。 だいぶ雑草や木に覆われてしまっている箇所もある。 駅近くになって線路が増えていく。 手前の線路は剥がされてしまったが、機関庫が見える。 JR貨物の事務所が見える。この電話番号は今も営業しているのだろうか?右脇に銀座線車両が見える。 駅と車止め。 重機が停まっていた。話題の銀座線01系解体に使用しているのだろうか。 上り電車車内より。色がおかしいが、銀座線車両が見える。 フォークリフトも見える。 ここで車体を2つに割って、どこかへ搬出しているようだ。 あちこちのブログ等で話題の、銀座線01系廃車体。6両分ありました。全て真っ二つになっていました。
https://www.hotetu.net/haisen/Kanto/090111mituikagaku.html
 三井化学茂原工場敷地までの間に、3系統のルートで旧国鉄と連絡した貨物の専用線が敷設されていた。 1941年(昭和16年)に旧海軍茂原航空基地への引込線としての敷設が最初で、専用線の南方ルートは茂原駅の南側で房総東線から上り方向に東へ分岐北上し旧海軍茂原航空基地に接続していた。1957年(昭和32年)旧海軍茂原航空基地跡が東洋高圧工業茂原工場になり旧国鉄との専用線が西方ルートの現在の外房線経塚高架橋の先、上り方向東へ分岐する専用線が新しく設けられた。1968年(昭和48年)10月に東洋高圧工業は合併により三井東圧化学となった。房総東線(現在の外房線)の貨物列車は土気-大網間は勾配がきつく急勾配の土気-大網間を避けるために貨物列車が、大網-成東-佐倉と東金線、総武本線へと迂回していた。1972年(昭和47)の大網駅のスイッチバック解消以後も短絡線が残され貨物の多くは三井東圧の専用線を発着していた。1972年に房総東線が電化され外房線となり、茂原市内の外房線の高架化の計画により、茂原駅の客貨分離が決定された。1986年(昭和61年)に本納~新茂原間に新茂原貨物駅が開設され、同時に三井東圧専用線の旧国鉄との接続は北方ルートとなる。新茂原貨物駅の発着線南端から外房線に並行して南下した後、1つ目の陸橋をくぐるあたりで東にカーブし、阿久川の東岸沿いに三井東圧化学へと至る専用線が新しく敷設された。三井東圧化学は1997年(平成9年)10月1日三井石油化学と合併し三井化学となる。1996年3月16日貨物列車の設定及び専用線発着コンテナ貨物・専用線発着車扱貨物の取扱を廃止。同時に三井東圧化学専用線が廃止。1997年(平成9年)3月 新茂原駅での貨物取扱廃止に伴い、大網駅短絡線廃止した。
http://badger.my.coocan.jp/discont/shinmobara.htm
 幌萌鐵道管理局   全国廃線跡探索記◆ 外房線 新茂原貨物駅   平成8年3月休止/平成17年3月探索 外房線本納-新茂原間に突如として錆び付いた線路が並ぶ一角が出現します。これはかつての新茂原貨物駅の跡です。施設はさほど古くはないのですが,現在では完全に打ち捨てられた寂しい様相を呈しています。 新茂原貨物駅は1986年に茂原駅高架化とともに,本納-新茂原間に開業し,新茂原貨物駅から三井東圧化学への引込線も新たに新設されました。三井東圧化学向けの貨物列車は外房線の土気坂の勾配を避ける為,総武線・東金線経由で運転されており,旧大網駅からの外房線旧線が短絡線として貨物列車の為に残されたのは有名な話です。 装いを新たにして開設された新茂原貨物駅ですが,時代の流れか三井東圧化学への貨物列車は1996年3月をもって休止されてしまい,新茂原貨物駅も活躍したのはわずか10年間のみで命運を共にしました。またこれに伴い大網の短絡線も廃止になりました。 新茂原貨物駅跡はほとんど手付かずの状態で現在も残されています。構内への立ち入りは禁止されていますが,周辺から十分に様子を伺うことは可能です。三井東圧化学への専用線跡は既に線路が剥がされていますが,バラストは残っています。▲ JR貨物の看板の残る建屋▲ 踏切より大網方を望む▲ 踏切より旧駅構内を望む▲ 正門より貨物ホームを望む▲ 使用停止の場内信号▲ 三井東圧化学への専用線跡▲ 旧駅脇を外房線普通列車が駆け抜ける[全国廃線跡探索記]  [幌鐵局]Copyright(c) 2005 BADGER (Masayuki Yamadaya), All rights reserved.
https://sotoboline209.blog.fc2.com/blog-entry-1051.html
今回も、外房線新茂原貨物駅跡にて行われている、銀座線01系解体の様子の写真をのせたいと思います!No.1は【こちら】油圧ショベルが01系の解体を行っていました!こちらは解体待ちの中間車です。ドアがすべて開いています。車番が切り取られ、板で塞がれていました。フォークリフトが車体を傾け、油圧ショベルが作業をしています。車内広告やつり革が残っています!
https://blog.goo.ne.jp/smiu2/e/c8cba577000ea26f6c3ce94afe82fbe4
新茂原貨物駅というのは1996年に廃止された貨物駅で、ここから近くの化学工場まで引き込み線が出ていたらしい。錆びたレールがなかなか萌える。引き込み線に入れる貨車や機関車の付け替え作業が行われていたのだろう、思いのほか立派な設備だったようだ。一般の貨物も扱っていたのだろうか、この貨物駅ができたのが1986年、なんと10年しか使用されていない。