三池港石油線は福岡県大牟田市にあった専用線。 三池鉄道四山駅から分岐し三池港内港南岸壁沿いに石油...

三池港石油線

三池港石油線 概要・歴史

三池港石油線は福岡県大牟田市にあった専用線。 三池鉄道四山駅から分岐し三池港内港南岸壁沿いに石油...

三池港石油線 画像

三池港石油線(1975年1月)
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三池港石油線 関連ブログ・参考リンク

http://www.geocities.jp/ushiyan_tantetsu/sekiyu01.htm
石油線は、三池港内港南岸壁沿いに、四ツ山駅から石油基地へといたる引込線で、石油基地には東洋高圧や三井化学工業(のちに両者は合併)の重油タンク、原油タンク、薬品タンクなどがあった。『専用線一覧 昭和39年版』に所管駅三池港、三井化学工業(*1)専用線 2.0キロとあるのが該当し、三池鉄道を走った、社有タンク車(タオ形)が行き来した線路と思われます。
http://ameblo.jp/hotetu/entry-10764330430.html
三池鉄道(みいけてつどう)は、かつて福岡県大牟田市及び熊本県荒尾市で運行されていた専用鉄道(一時期地方鉄道)の通称である。三井三池炭鉱から採掘された石炭を輸送するために敷設され、保有者は三井鉱山から三井三池港務所、再び三井鉱山、三井石炭鉱業と移った。現在でも一部区間が現存し、三井化学の専用鉄道として使用されている。
http://okunokun.ikora.tv/e564520.html
2011年3月8日 宮浦ヤード入り口でゲット縲懊鰀 もちろんこの二日間、後は廃線跡や炭鉱後巡りで楽しみ ましたです。 ではでは、 10日は三池鉄道の三池港付近に怪しい廃線跡・遺構を 見つけました。次回来訪の際、機会 情報 (9/5). 四日市石油情報 (9/4)
http://www.hotetu.net/haisen/Kyushu/101229mieketetudou.html
三池鉄道(みいけてつどう)は、かつて福岡県大牟田市及び熊本県荒尾市で運行されていた専用鉄道(一時期地方鉄道)の通称である。三井三池炭鉱から採掘された石炭を輸送するために敷設され、保有者は三井鉱山から三井三池港務所
http://8.pro.tok2.com/~shimpei/0001/121_pfc-special1/pfs018_mitsui-tao50.htm
その用途だが、飯塚さんから頂いたメールには「三池沿線の油施設には、三池港内港の 南岸壁に油桟橋と三井東圧の石油基地があり、四ツ山駅から石油線と称した長い 引込線が通じていました。現地の話では昭和60年6月に廃止線になったと聞きましたが 、
http://homepage1.nifty.com/pyoco3/miike/miike.htm
明治, 24, (1891), 三池炭鉱専用線, 開業 地図上にマウスポインターを置くと三井三池 鉄道を表示します と交差(C参照)、更に掘割りとなった路盤は宮原廃坑跡(D参照)を かすめて進み、今も橋梁を残す諏訪川(E参照)と万田廃抗との間にあったのが万田。 D
http://tantetsu.pecori.jp/sekiyu01.htm
四ツ山駅のあちこち2008年2月20日公開Oil line at Yotsuyama-station 石油線は、三池港内港南岸壁沿いに、四ツ山駅から石油基地へといたる引込線で、石油基地には東洋高圧や三井化学工業(のちに両者は合併)の重油タンク、原油タンク、薬品タンクなどがあった。『専用線一覧 昭和39年版』に所管駅三池港、三井化学工業(*1)専用線 2.0キロとあるのが該当し、三池鉄道を走った、社有タンク車(タオ形)が行き来した線路と思われます。 内港南岸壁の背地は第三期埋立予定地とされた地域で、戦前の地図ではまだ海面か埋立中となっていることから、石油基地と引込線は戦後(間もなく?)設置されたと推測されます。もっとも引込線の方は干拓線(ボタ捨て線)として先行していたかもしれません。それ以上に気になるのは、途中、早米来川に沿う別の引込線も分岐していることですが、残念ながら正体は不明。 鉄道課で採ったメモによれば、昭和60年6月に廃止とありましたが、石油基地内を除き、レイルは鉄道廃止時まで残っていました。驚いたことに架線も久しく張られたままでした。線路は大部分が藪の中でしたが、陸揚げされた漁船を潜ったりしながらヘロヘロと伸び、石油基地でようやくレイルが途切れていました。(*1)昭和45年版では三井東圧化学専用線 2.0キロ。東洋高圧との合併による。(2枚とも昭和49年撮影の空中写真より)内港南岸壁の石油桟橋と結ばれたタンク群へむかって引込線は3方向へ分岐している。右端の引込線にはタンク車の姿も。資料によれば、化学薬品タンクである。昭和26年大牟田市基本図より一部抜粋。石油線の原型といえる線路が描かれているが、周囲はまだ未干拓の土地が多く、当初はボタ捨て線として使われたと推測される。気になるのは、途中から引込線群が分岐していることで、空中写真にも見える建物も確認できるが、なんの施設なのかは不明。三井三池港事業概要1972(昭和47)より一部抜粋。石油基地から三井アルミニウム工場への引込線が延伸されている。(1992年8月四ツ山)三池火力発電線に平行して伸びる石油線。架線も張られ、あたかも現役線のようであった。(1992年8月四ツ山)発電所を過ぎると、すぐにレイルはヤブのなかへ。右を流れるのは早米来川。(1992年7月四ツ山)県道三池港線との交差。(1992年7月四ツ山)ヤード入口付近。空中写真によれば、この辺りから線路は3方向に分かれていた。(1992年8月四ツ山)石油基地ヤード。レイルがあったのはここまで。本館ページへ戻る石油線その2
http://blog.kyushu-heritage.jp/?eid=709962
 一昨年ほど前、三井三池鉄道跡の一部をトレースした際に、三池火力発電所付近から三池港南側へと支線が延びているのを見つけ、それ以降その先がどうなっているのかずっと気になっていました。昭和49年の航空写真では、石油タンクの合間を走るその支線をはっきりと確認できますが、現在は区画も変わっているようで、その痕跡は残っていないだろうと思っていました。しかし、この度偶然にも以下のような立派な“痕跡”に出会うことができました。