三池炭鉱四山坑 関連ブログ・参考リンク
http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_contents_/shime04.html
縦坑櫓比較大牟田三井三池炭鉱四山坑(いただきもの)志免炭鉱と同じくランディングタワー型と呼ばれる形式の縦坑櫓です。ランディングタワー型とは、動力装置を櫓の上に置くタイプです。この四山坑も幾本もの柱の上に部屋の様な空間が設けてあり、この中に動力装置が据えられてい
http://kurodaiya.at.webry.info/201411/article_1.html
2014年11月6日 浴場に残る注意書き。作業着は厚く、乾きにくかったのであろう。 画像. こちらは脱衣籠に関する注意書き。 画像. 浴場の隅にある機械類。これもネイブルランドの設備であろう。 炭鉱の廃墟に遊園理の廃墟が同居している。 画像. 事務所の2階ツ黴
http://nonta-space.net/miike/tankou-01.htm
港沖四山鉱平成9年2月のある日曜日、私は想い出深い四山鉱(港沖)跡を訪ねてみました。3月30日の閉山に先立ち、港沖立坑の立坑やぐらが解体撤去されるとの報道に接し、長い間入昇坑で使用した、あのやぐらが無くなると思うと居ても立っても居られず、せめて写真だけでも残し
http://www.miike-coalmine.org/kouguti/minatooki.html
港沖四山鉱福岡県大牟田市四山町昭和40年開坑し、昭和62年12月閉坑した。竪坑やぐらの高さ45メートル。同やぐらは昭和44年閉山した福岡県田川市の三井伊加利竪坑から移設されたもの。その後、港沖四山坑閉坑と共に同やぐらは田川市へ里帰りしたということであったが、現
http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_contents_/4yama.html
四山鉱港沖竪坑(新四山鉱)新四山坑の航空写真昭和40年開坑した比較的新しい炭鉱。新しい設備と建物を持つ新しい雰囲気の炭鉱だったそうです。昭和62年12月に閉坑。手前側が三池湾入り口にあたります。田川市の炭坑から移設した縦坑が写っています。あと、特徴として捉えて
http://homepage2.nifty.com/omuta_miike/yotuyama.html
四つ山鉱跡地正門跡らしいものがあるが、他に往時を偲ぶのは三池争議の際に刺されて死去した久保清氏の慰霊碑と山の中に草生すいくつかの建物だけといっていい。その碑の事も同時代に携わった人々以外からは忘れられつつあるといっても過言ではなかろう。ただ、その傷の余韻は今も
http://www.miike-coalmine.org/kouguti/h19.html
四山竪坑その1熊本県荒尾市四ツ山町荒尾市に位置した四山鉱。そのシンボルであった竪坑は、三池炭鉱閉山前の平成8年9月、爆破され取り壊された。その様子は消えゆく三池炭鉱の象徴としてテレビで全国に放映された。その竪坑やぐらが完成したのは大正13年。(1994年8月1
http://blog.livedoor.jp/ijirin0917/archives/51462856.html
この写真は三井三池四ツ山鉱の竪坑。この巨大な初期の鉄筋コンクリート建築物は、この写真の撮影から数年の後、1997年の三川鉱閉山の後になんとダイナマイトで爆破し解体された。まるで市民の情念を逆撫でするような解体劇であったようである。老朽化が進んでいたとはいえ、周
http://homepage1.nifty.com/yamada/yotsuyamakyuko.htm
熊本県荒尾市大島にかつて存在していた三池炭鉱四山坑の竪坑櫓です。鉄筋コンクリートで建造され、竪坑の直上に巻上げ機が据えられているワインディングタワー型式の櫓でした(同型のものが福岡県志免町に遺存しています)。大正13(1923)年から採炭をツ黴
https://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/1ff45183e6b457d64f9e5226aa3ad385
シリーズでアップしている三池炭鉱。惜しくも解体されてしまった施設の2つ目は、その櫓の形がとても特徴的だった四ツ山坑です。大正12年(1923)に開削された、三池炭鉱では中期に活躍した坑道の四ツ山坑は、なっといってもその竪坑櫓の形が際立っていました。ワインディン
https://www4.hp-ez.com/hp/tankou/page10
三井三池炭鉱・四山第一立坑櫓
http://orange.zero.jp/zbc54213.wing/yotuyamaariake01.html
四山坑(よつやま)は厳密に言うと、熊本県荒尾市四山町になる。福岡県三池ではない。しかし三池炭鉱というのは地下の炭層が連なっているからかこの辺り一帯を全部”三池炭鉱”という。ここの四山坑以外に”港沖四山坑”がある。三池港の航路筋に沿ってほぼ先端あたりにそれはあっ
https://ameblo.jp/tankou1/entry-12147540343.html
旧三池炭鉱を訪れようと思ったきっかけは、大好きな志免立坑櫓の兄貴分・四山立坑櫓の痕跡を追い求めたことからでした。残念ながら跡地には何も残っていないと告げられ、仕方なく写真を集めることに…
https://blogs.yahoo.co.jp/y_syunjuu/42560740.html
今年の秋は、三池炭鉱跡を無料シャトルバスやクル-ズ船で巡りました。荒尾市教育委員会が作成した三池炭鉱・万田坑の世界遺産登録記念DVDを、図書館から借りてきました。本年7月に作成されました。次の写真はTV画面を撮ったものです。旧四山坑のコンクリ-ト製竪坑やぐらの
https://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-11608690398.html
万田坑のステーションで見た地図、地図がありましたので名前がある場所は全て回ろうかと思う。先ずは四山坑へと向かいます。到着すると、やはり…見渡す限り本当に更地です。ここら辺に、この竪坑櫓があったらしいのですが…1996年9月に解体されたのは知っていましたがなにか