北炭真谷地炭鉱 概要・歴史

北炭真谷地炭鉱(ほくたんまやちたんこう)は北海道夕張市南西部、夕張川支流のパンケマヤチ川・ホロカクルキ川中上流域に展開された北海道炭礦汽船(北炭)経営の炭鉱。一時は同社平和鉱業所に所属した。

1905年に北炭がクリキ炭鉱を買収、真谷地坑に改称。1919年、三井鉱山より登川炭鉱を買収。登川砿を設置し楓坑を真谷地砿から移管。1940年にガス炭塵爆発が発生、51名の死者を出した。

鉱区は真谷地および楓の2鉱区からなり、楓坑は登川砿の操業により管下に入ったが、登川砿の廃止と同時に真谷地砿に復帰した。石炭は沼ノ沢までの専用線を経由して各地へと輸送されていた。優良な原料炭を産出し操業を続けたが、1987年夕張最後の北炭のヤマとして閉山した。

近年まで北炭の貨車積みポケット、専用鉄道跡、炭鉱総合事務所、資材倉庫(北炭建設)などが残っていたが、2007年3月末に跡地を利用していた夕張市第3セクターの夕張木炭製造株式会社が倒産したことに関連して主要施設のほとんどが解体された。

2018年9月現在、真谷地専用鉄道の機関庫が転用された木炭加工場、映画館が体育館に転用されて、更にリサイクルセンターとして利用されている建物が残る。リサイクルセンター奥には真谷地炭鉱組合所がある。

かつて主要施設が所在したその奥の部分には、空中写真からはわずかに基礎跡がうかがえるのみで、2018年9月現在、北海道胆振東部地震の影響か、同地に向かうダートが途中から川に向けて崩落しており、危険な状態にある。

状態
2011年09月15日 作成
2019年02月26日 更新

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北炭真谷地炭鉱 住所

北海道夕張市真谷地

北炭真谷地炭鉱 種類

廃鉱・採石場跡

北炭真谷地炭鉱 ストリートビュー・空中写真

北炭真谷地炭鉱 スポット

北炭真谷地炭鉱 関連ブログ・参考リンク

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夕張モノクロ紀行
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日本基督教会 夕張教会 - 建築ノスタルジア
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閉ざされた記録 - 02 北炭真谷地変電所 : 遠い記憶、忘れられた
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真谷地炭鉱旧炭鉱事務所。新しい事務所が出来たので資材倉庫になったらしい。ホッパー跡。何の施設なのか・・・・?新炭鉱事務所。新炭鉱事務所裏の立坑跡。選炭場跡坑道入口。この建物も何なのかわからない・・・が、たぶん関連施設だと思う?真谷地炭鉱は明治38年に北炭が頭山
北海道夕張市 北炭真谷地炭鉱跡地 | HEYANEKOの棲み家(へき地ブログ)
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2017年09月15日 : 夕張ヘリテージ・アクト ーYubari Heritage Actー
http://blog.livedoor.jp/yubariheritageact/archives/2017-09-15.html
当日配布された資料を抜粋すると、ここ真谷地炭鉱の歴史は、玄洋社を主催した頭山満が所有した鉱区を北炭が買収。明治38年から夕張第二礦として開発に着手したもので、当時はクルキ炭鉱と称していた。石炭の輸送のため馬鉄から大正3年に真谷地専用鉄道が敷設され一時期は真谷地

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