http://www.kyuyama.jp/kyushuyamaguchi/ky_nagasaki_03.html
こうした外国の蒸気船の燃料として高まった石炭の需要を受け、1868(慶応4)年に佐賀 藩とグラバー商会は合弁事業として高島炭鉱開発の共同経営を開始 最初の蒸気 機関によって海底炭田を掘る立坑で1日に300トンを出炭していたとされますが、1876( 明治9)年海水の浸入により廃坑となりました。 北渓井坑の石炭生産技術は、その後、 筑豊や北海道に伝わり、旧来の技術を一新し、わが国の炭坑開発につながっていきま した。
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/sekaiisan/kikaku8/02.html
[2]端島炭坑・北渓井坑跡 日本初の洋式炭坑である北渓井坑は、水がたまり、井戸 のような状態となっている=長崎市高島町 北渓井坑が廃坑した後も高島炭鉱の開発 は進む。81年に岩崎弥太郎が譲り受け、三菱が本格的な経営に乗り出した。1986年
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2006年3月11日 その後明治7年1月官営に移り、同年11月後藤象二郎に払い下げられ、明治9年まで 稼働し廃坑した。 子供の頃、小島で泳いだ後、井戸で体を洗っていましたが、多分、この 北渓井坑跡が井戸になっていたんだと思います。 [2005/08/23 10:08]