http://psyzans.web.fc2.com/Newken/nR458/nR458_2.html
郡界まで15kmの標識. 十部一峠は大蔵村と寒河江市の境界で、最上郡と西村山郡の 郡界である。山道は 橋脚を残して落ちてしまった橋や、川越しに見えるズリ山(製錬 時に出る鉱滓の山)に、かつての姿がかすかに偲ばれる。 鉱員住宅跡地の湧き水. 広場 に
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/06/0906j0803-00001.htm
2009年8月3日 海抜が870メートルの十分一峠はその昔、永松鉱山に入る商人から売値の10分の1の 税を取ったところだ。その峠 . だが、廃鉱になって長い年月が過ぎた幸生鉱山・永松 鉱山は、いま訪れる人もなく十分一峠の山中に沈んでいる。(作家、
http://www3.ic-net.or.jp/~motokazu/nagamatsu1.htm
永松鉱山探訪 訪問日 平成13年8月17日(金). 山形は周囲が山です。当然に鉱山資源はたいへん豊富でありました。 この鉱山資源を日本中の山を巡って探していた集団がありましたが、 特に奈良時代に大仏建立のために使う金(きん)を求めて多くの人間がツ黴
http://orange.zero.jp/zbc54213.wing/nagamatu-ookurakz-.html
今回、永松鉱山も大蔵鉱山も”不発”でした。永松鉱山は写真のとおり先が土砂崩れらしく十部一峠(じゅうぶいちとうげ。昔、鉱山で商売する商人から一割の通行料を取っていたことからこの名がついた)から入る所で通行止め。大蔵鉱山も土砂崩れによる通行止めですご~く遠回りした