幸生鉱山(さちうこうざん)は山形県寒河江市にあった鉱山。銅・鉛・亜鉛が採掘された。 1682(天和2)...

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名称 幸生鉱山
住所 山形県寒河江市幸生
種類 廃鉱・採石場跡
山形県の廃鉱・採石場跡
スコア
8
現況 現存
評価

幸生鉱山 概要・歴史

幸生鉱山(さちうこうざん)は山形県寒河江市にあった鉱山。銅・鉛・亜鉛が採掘された。

1682(天和2)年に幸生村の名主才三郎によって発見され、大阪商人泉屋吉左衛門によって開坑する。

1794(寛政6)年に鉱脈が発見され、幕府直轄の銅山として栄える。1835(天保6)年に休山。

1892(天保8)年に再度開山し、1862(文久3)年に廃山。1866(慶応2)年に、名主の個人経営で再開される。

1874(明治7)年より小野組により稼行するが倒産し、1876(明治9)年に古河市兵衛が引き継ぎ、古河鉱業(株)の所有となった。

1897(明治30)年に幸生銅山での精錬を廃止し永松鉱山の支山とし、永松だけで精錬するようになる。

1911(明治44)年に永松鉱山と幸生鉱山の間に総延長5.1kmの架空索道が架設され、1917(大正6)年には幸生と白岩の間に総延長11.6kmの索道が架設された。また白岩、宮内に鉱毒沈殿池が完成した。

1926(大正15)年に三山電鉄が開通、これにより鉱石を足尾銅山に運び精錬するようになる。

1931(昭和6)年、幸生銅山学校は白岩小学校の幸生銅山分校となる。1937(昭和12)年、幸生鉱山近くに金城鉱山を開坑。

1951(昭和26)年、永松・幸生の両鉱山の閉山が発表され、1961(昭和36)年に閉山した。

坑口跡、トロッコ軌道跡、選鉱場跡などが残る。

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幸生鉱山 関連ブログ・参考リンク

幸生(さちう)鉱山
http://orange.zero.jp/zbc54213.wing/satiukz.html
HOME山形県寒河江市幸生幸生(さちう)鉱山Photo:2012年8月(1/1)●主な採掘金属:銅、亜鉛、鉛。●経営企業:(開坑の頃は)住友家(泉屋)→(江戸時代中頃は)幸生村の有力者→(明治初期は京都の金融業)小野組→その後すぐに古河市兵衛(古河財閥創業者。
幸生銅山・永松銅山
http://www3.omn.ne.jp/~nishiki/sachiu.htm
幸生銅山・永松銅山(写真左:幸生銅山で働いた人々の墓)(写真右:幸生銅山の北にある寒河江市と大蔵村の境、十部一峠。ここから林道を谷底に降りていくと永松銅山がある。)寒河江市と大蔵村の境に十部一峠がある。この十部一は十分一からきており、峠に番所を置き、十分一役銀
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幸生鉱山跡2005.6.12国道458号通称ダート国道、十部一峠寒河江市側に幸生という集落がある。集落の先に銅を産出した幸生鉱山跡がある。1961年に閉山するまで古河鉱業が採掘していたようだ。まるだし氏と殆ど事前情報なしで挑んだ。廃屋が多い集落の外れ。我々は十
新・県民ケンちゃん~国道458号線2(大蔵村肘折~大江町左沢)
http://psyzans.com/Newken/nR458/nR458_2.html
峠から6.5kmほど下った場所にある謎のプール。茶色く濁った水が溜まっている。その正体は鉱毒処理施設。峠の寒河江側にも幸生鉱山があって、銅など産出していた。橋の先は立ち入り禁止。
幸生銅山跡
http://www.ic-net.or.jp/home/rinet/ysgepsacuduzn.html
幸生銅山跡所在地山形県寒河江市幸生幸生銅山は寒河江市役所の北西方、葉山の一峰、大滑山(954㍍)の中腹にあった鉱山だ。江戸時代の天和2年(1682)に開かれ、徳川埋蔵金伝説で有名になった小栗上野介が銅山奉行としてその任にあった所ともいう。落盤や鉱山で亡くなった