幸生鉱山 関連ブログ・参考リンク
http://orange.zero.jp/zbc54213.wing/satiukz.html
HOME山形県寒河江市幸生幸生(さちう)鉱山Photo:2012年8月(1/1)●主な採掘金属:銅、亜鉛、鉛。●経営企業:(開坑の頃は)住友家(泉屋)→(江戸時代中頃は)幸生村の有力者→(明治初期は京都の金融業)小野組→その後すぐに古河市兵衛(古河財閥創業者。
http://www3.omn.ne.jp/~nishiki/sachiu.htm
幸生銅山・永松銅山(写真左:幸生銅山で働いた人々の墓)(写真右:幸生銅山の北にある寒河江市と大蔵村の境、十部一峠。ここから林道を谷底に降りていくと永松銅山がある。)寒河江市と大蔵村の境に十部一峠がある。この十部一は十分一からきており、峠に番所を置き、十分一役銀
http://kanso.cside.com/neko_tabi/mine/sachiu/sachiu.htm
幸生鉱山跡2005.6.12国道458号通称ダート国道、十部一峠寒河江市側に幸生という集落がある。集落の先に銅を産出した幸生鉱山跡がある。1961年に閉山するまで古河鉱業が採掘していたようだ。まるだし氏と殆ど事前情報なしで挑んだ。廃屋が多い集落の外れ。我々は十
http://psyzans.com/Newken/nR458/nR458_2.html
峠から6.5kmほど下った場所にある謎のプール。茶色く濁った水が溜まっている。その正体は鉱毒処理施設。峠の寒河江側にも幸生鉱山があって、銅など産出していた。橋の先は立ち入り禁止。
http://www.ic-net.or.jp/home/rinet/ysgepsacuduzn.html
幸生銅山跡所在地山形県寒河江市幸生幸生銅山は寒河江市役所の北西方、葉山の一峰、大滑山(954㍍)の中腹にあった鉱山だ。江戸時代の天和2年(1682)に開かれ、徳川埋蔵金伝説で有名になった小栗上野介が銅山奉行としてその任にあった所ともいう。落盤や鉱山で亡くなった