http://kyuragi2011.blog.fc2.com/blog-entry-28.html
茂みの中には2つの専用線の橋台が、仲良く並んで残っていた(撤去済み)。 右が明治佐賀炭鉱行きで左が多久炭鉱行き。 開通時期の違いで形態が異なる。実に面白い。 さて多久炭鉱へ向かうとする。 多久炭鉱炭住 専用線の面影は道路の線形で見てとれるのみ。 炭坑のことども. 多久炭坑を調べていたら、登場しました。 興味深く、読ませていただいております。 少し炭坑を調べていますが、旧廃坑地帯に立ち入ることが怖くて、もっぱら文献たよりです。 今回の動機は、中島礦業の多久炭鉱ではなく、
https://note.com/fun_kindai/n/nc26150b1d12b
佐賀県多久市 JR唐津線多久駅の近傍に、昭和期に開発発展した炭鉱の名は、多久多久炭鉱株式会社(社長 中島茂)である。昭和11年の会社設立から、多久駅近辺鉱区にて一坑から五坑の5か所で採炭していたと文献の記録にある。
https://ameblo.jp/momomitemie/entry-12861618589.html
石炭積み込み施設跡この左の道は唐津線貨物支線(柚ノ木原線)の廃線跡だ。