三菱古賀山炭鉱 関連ブログ・参考リンク
http://blog.kyushu-heritage.jp/?eid=883146
多久駅で1890年製のプレートガーダ橋を発見するという思わぬ収穫がありましたが、ここ多久市に来た本来の目的は炭鉱遺構を見て回ること。さてと、それらしいものは…と探すことなく、多久駅に来ればドーンと目に飛び込んでくるのがこの大きなホッパー。多久市の東部に竪坑櫓が
https://forbiddenkyushu.wordpress.com/2010/10/07/多久:三菱古賀山炭鉱7-森から脱出-series-end/
やっと青空の下に戻ってきた、という感じ。出た先はあの線路沿いにある巨大ホッパーだった。森の中を歩き回り、汗だくのヘトヘト、しかし目の前にあるホッパーにカメラを構えられずにおれません。以上で古賀山炭鉱篇は終了となります。余談ですが、この日は身内が意識不明となった
http://hasiru.net/~maekawa/mine/kogayama/kogayama.html
三菱古賀山炭鉱佐賀県多久市東多久町(2009年9月20日撮影)JR佐賀駅から唐津線で約20分の所に東多久駅がある。無人駅であるが、その待合室には同町にあった炭鉱の風景写真が飾られてある。昭和24年、北多久村が人口増により町制を敷き、さらに同29年、北多久町、東
http://ameblo.jp/creamsand/entry-10814560224.html
目的地は、多久市内に残る「旧三菱古賀山炭鉱」の竪坑櫓とホッハ゜ー(貯炭庫)跡です。多くの方がフ゛ロク゛でご紹介されており、その存在を知りましたので、ぜひ一度行ってみたいと思い、今回行って来ました!!小城市から国道203号線をさらに進んで多久市内へ入りましたが、
http://tristar.at.webry.info/201103/article_5.html
佐賀県の多久市にあった炭鉱です。ここの炭鉱の遺構で有名なのはやはりコンクリート製の竪坑櫓と多久駅の近くに残るホッパーが有名ですよね。5年くらい前から何度もこの二つの遺構を見に来た事はありますが今となっては結構メジャーな遺構なのでアップしようか迷いましたがアニキ
http://hibiki15.blog.so-net.ne.jp/2008-07-27-2
この竪坑櫓は旧三菱古賀山炭鉱の竪坑櫓で1917年(大正6年)に建てられ1968年(昭和43年)に閉山となった後、現在の姿になっています。九州では筑豊や大牟田が石炭では有名ですが当時はこうした小さな規模の炭鉱がたくさん有ったみたいですね。炭鉱があったことすら、こ
http://allxa.web.fc2.com/archi/industry/coalmine/kogayama/index.html
佐賀県に広がる唐津炭田において多久市は主要な炭鉱町だった。三菱古賀山炭鉱は同市で操業していた炭鉱のひとつで、竪坑櫓やホッパーなどの遺構が現存している。トライスターさんの調査によると明治20年代には既に操業していたようだ。閉山は1968(昭和43)年。
http://kyuragi2011.blog.fc2.com/blog-entry-151.html
佐賀県多久市に存在した三菱鉱業経営の巨大炭鉱。JR唐津線の下りディーゼルに揺られていると、多久駅手前で大きなホッパーが車窓に映る。このホッパーの左側丘の上は、古賀山本坑の鉱業所があった場所。ここから出た石炭をひっきりなしに貨車へ流し込んでいたのだろう。多久駅に
https://forbiddenkyushu.wordpress.com/2010/10/01/%e5%a4%9a%e4%b9%85%ef%bc%9a%e4%b8%89%e8%8f%b1%e5%8f%a4%e8%b3%80%e5%b1%b1%e7%82%ad%e9%89%b11-%e3%82%b3%e3%83%b3%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%88%e3%81%ae%e7%b8%a6%e5%9d%91%e6%ab%93/
多久市にある三菱古賀山炭鉱の遺物、コンクリート造の縦坑櫓。三池炭鉱などにみる鉄骨の櫓と違ってコンクリート独特の重厚な雰囲気をかもし出しています。古賀山炭鉱の閉山は昭和43年。それにしても上部へのアプローチはまさかあの踏みしろの狭い階段だけ?手すりも何にもなくて
http://miracetus.blogspot.jp/2012/04/blog-post_27.html
ホッパーという、石炭を貨車に積み込むときに使われていた施設。鉄筋コンクリートのビル跡。往時は日本でも最古級のエレベータがあったとかなんとか。なんかの遺構。土に埋まり藪に覆われなんのかもわからない。雑木林の中に突如現れるコンクリートの壁コンクリート壁が3メートル
https://www.departure-ruins.com/koga-tan/
三菱古賀山炭鉱は最盛期には従業員1000人を誇る炭鉱だった。1968年の集中豪雨による災害で採掘が困難になり閉山。竪坑櫓、ホッパーやシックナーなどが残る。
https://note.com/fun_kindai/n/n585172dd5e46
佐賀県多久市JR唐津線多久駅の裏手に、大きな構造物を目にすることができた。偉容を誇るこの構造物こそ、財閥資本の三菱鉱業が操業していた”三菱古賀山炭鉱”のホッパー、石炭積み出し施設の跡である。