別保炭鉱 概要・歴史

別保炭鉱(べっぽたんこう)は北海道釧路郡釧路町にあった炭鉱。

明治期に開鉱。1920(大正9)年に太平洋炭鉱が発足、本格的な採炭開始。

1944(昭和19)年、国策により休鉱。戦後、1946(昭和21)年に再開したが、採掘条件の悪化などから1949(昭和24)年に閉山となった。

当時の約700人の従業員を擁し、家族を含めて3,000人あまりの人口があったという。

住宅地のすぐ脇に、選炭場の跡が残る。また、坑口、運炭軌道、火薬保管庫が残るらしい。

状態
2011年09月15日作成  2019年06月01日更新

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別保炭鉱 住所

北海道釧路郡釧路町別保南

別保炭鉱 種類

廃鉱・採石場跡

別保炭鉱 ストリートビュー・空中写真

別保炭鉱 関連ブログ・参考リンク

別保選炭場跡 - 炭鉱(道東)
http://tansakunoato.blog.fc2.com/blog-entry-502.html
釧路郡釧路町にある別保炭砿の選炭場。北海道の炭砿跡のほとんどは人里離れた山奥にありますが、ここは珍しく住宅街。と言っても閉山と共に町が消えたのか、発展して残ったかの違いでしょうか。昭和14年に別保第一斜坑を開削し、斜坑出炭にあわせて石炭貨車の導入を見込んだ新選
別保炭砿を探して - 2 - 炭鉱(道東)
http://tansakunoato.blog.fc2.com/blog-entry-230.html
太平洋炭礦別保坑~概要~・別保地区の開坑は明治時代・大正9年太平洋炭礦発足後、本格的な採炭を開始・昭和19年国策により休坑(九州へ強制転換?)・昭和21年終戦後、再開する・昭和24年出炭が思わしくなく、閉山するこの施設は、閉山から50年以上経過した現在も釧路町
もと・別保炭鉱での運動会: ヤマ(炭鉱)の喫茶ガイドセンター珈琲坂のブログ
http://coffee-zaka.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-6388.html
釧路村(現在の釧路町)の別保炭鉱は、明治17年春釧路川の支流別保川の上流地点で、角材造成中に露頭炭が偶然発見された。現在の別保炭鉱選炭工場跡地別保坑は、終戦後の昭和21年11月に再開されたが鉱区の衰退、採掘条件の悪化などから、24年閉鎖全員が釧路市の春採坑に移
別保(べっぽ)炭鉱跡地|やんまのブログ
http://ameblo.jp/yama-change/entry-11508597339.html
昭和24年に閉山となった、別保炭鉱跡地を観に行きましたそれは釧路町別保駅の南に位置し、住宅地のすぐ近くにありました!--別保炭鉱年表--・別保地区の開坑は明治時代・大正9年太平洋炭礦発足後、本格的な採炭を開始・昭和19年国策により休坑(九州へ強制転換?)・昭和
別保 上尾幌炭鉱
http://members3.jcom.home.ne.jp/bighorn3/tankou/beppokamioboro/beppokamioboro1.html
別保炭鉱2011年5月探訪概要もともと別保の炭山があった一帯を、双河辺と呼んでいた。別保には沢ひとつ越えて二つの炭山がありそれはシュムスカルベツ川沢の山形炭鉱とクッタクンペ川沢の大阪炭鉱だった。大正4年これらのヤマは三井鉱山によって買収され、釧勝興業のヤマを二
産炭史2011
http://www.santankushiro.com/pdf/santanshi2011.pdf
 三井鉱山別保炭鉱の初代鉱長であった「田辺儀助」の故郷ともいうべき三井田川鉱への移転は、何か運命的な因縁を感じます。この時期800人を数えた朝鮮人労働者も同時に転換しました。

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