文魁記念館ロードイン長城(ぶんかいきねんかん)は、岐阜県中津川市(旧・恵那郡付知町)にあった施設...

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名称 文魁記念館ロードイン長城
住所 岐阜県中津川市付知町
種類 遊園地・テーマパーク
岐阜県の遊園地・テーマパーク
スコア
★★★★★★★★★ 27
現況 解体
評価 ■■

文魁記念館ロードイン長城 概要・歴史

兵馬俑殺人事件の舞台

文魁記念館ロードイン長城(ぶんかいきねんかん)は、岐阜県中津川市(旧・恵那郡付知町)にあった施設。国道256号尾ケ平交差点近くに位置する。

1992年6月25日に博物館を併設するユニークなドライブインとしてサンプランズ社が開館。

真っ赤な中華風建物と中世ヨーロッパ調の石垣で出来た城が組み合わされた特徴的な建築で、中国北京郊外の八達嶺にある万里の長城のいち部分を模して作られた。建物の積石には地元特産の基礎石と美濃石が3000トン以上使われた。館内には中国古代の彩陶から清朝時代の粉彩に至る約250点の陶磁器類が展示されていた。

また貴重な秦の兵馬俑が展示品にあるのが話題となったが、貴重な文化財が日本にあることも不自然で、真贋論争が巻き起こった。

博物館自体も、入場料が1800円と割高であったことやバブル崩壊などにより客足が遠のき、1996年11月に閉館、12月に破産宣告がおりている。

経営が傾いたことから兵馬俑の何体かが売りに出されたこと、閉館前の1996年10月11日にサンプランズ社長の桐本氏が変死していること、さらに兵馬俑を入手した専門学校の理事長が1997年3月21日に刺殺されたことから、「兵馬俑殺人事件」として話題になった。兵馬俑の所有権を巡る争いから殺人事件にまで発展したらしい。

桐本氏は81体の兵馬俑を入手していたが、1997年時点で管財人の管理下にあったのは58体で、その差23体のうち20体は名古屋の古美術商が購入しているが、鑑定により13体が偽物とわかり、詐欺として告発している。残る3体は行方不明となっている。

2005年時点で建物は長年使われておらず、広い駐車場の隅でレンタルビデオ店のみが営業していた。

博物館は2007年頃に解体され、兵馬俑についてはその後続報がない。

(※参考:雑誌『富士通ジャーナル』(富士通マーケティング本部eマーケティング部、1992年12月)、雑誌『中部財界』(中部財界社、1997年6月))

注意 解体され現存していません

文魁記念館ロードイン長城 画像

雑誌『富士通ジャーナル』(富士通マーケティング本部eマーケティング部、1992年12月)より
雑誌『富士通ジャーナル』(富士通マーケティング本部eマーケティング部、1992年12月)より
雑誌『中部財界』(中部財界社、1997年6月)より
雑誌『中部財界』(中部財界社、1997年6月)より

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文魁記念館ロードイン長城 関連ブログ・参考リンク

29-6:岐阜県 文魁記念館 ロードイン長城
https://www.ne.jp/asahi/nikake/usi/nikari/29-6bunki.html
29-6:岐阜県 文魁記念館 ロードイン長城所在地:岐阜県恵那郡付知町取材時期:2005年9月ジャンル:展示系珍スポ度:不明 (☆五個が最高得点)コメント:高山からの帰り道、中央道の中津川ICに向かって国道257を走っている時のことであった。そろそろ昼飯時だな~などと考えてMGを走らせていると突如現れた真っ赤な中華風建物と中世ヨーロッパ調の石垣で出来たお城。なんじゃこりゃぁ?と思い、MGを転回させ駐車場に車を入れる。入り口には「文魁記念館 ロードイン長城」とある。だだっ広い駐車場には一台も車は無く、広場の一番外れにレンタルビデオ店が一軒。妙な取り合わせだなぁ~と思い、「城」に近づいてみると、どうもこれは万里の長城をイメージしているように見えてきた。そうだよな「ロードイン長城」だしな。それなら中国をテーマにした記念館なのだろう、入れ物がかなり立派なので中身が楽しみ~、と入り口に近づくが、全然営業している気配なし。仕方が無いので先ほどのビデオ店横の自販機で缶コーヒーを買っていたトラック兄ちゃんに聞いてみた。「この記念館はもう潰れちゃったですかね?」「うーん、十年くらい前にもう潰れたよ。中には万里の長城の模型なんかあったな」と貴重な情報を頂けた。残念、そんなに前に潰れたのならあきらめもつくという物。でもちょっと悔しいので建物の外から内部の様子が分かる場所は無いかと探し回ってみると、中華風建物のシャッターの隙間から、少しだけ中が観れるようになっている。当然頭が入るほどのスペースは無いので、デジカメを突っ込んでノーファインダーでシャッターを切ると写っていたのは何やら厳つい人物像。三国志に出てくる関羽などはこんな感じなんでしょうね。その奥は広間になっていて、ステージなどもあるようだ。何枚も撮ってみたが、結局これ以上の事は分からず仕舞でした。取材から戻りネット調査してみたところ、平成8年ころまでは営業していたようで、内部には中国の陶磁器コレクションや兵馬俑のレプリカ等が展示されていたらしい。地元の金持ちがバブルの勢い余って造ったは良いが、客が入らなくて直ぐに潰れたのだろうか。建物自体はかなりしっかり造られているので、何か再利用できたら面白いのにね。誰か行ったことある方の情報、お待ちしてます。写真:  リンク等:取材記録29に戻る |  にかのページメイン | ニカ家のページへ
写真館 | らせん階段
https://ameblo.jp/endlessaminor/entry-12123080300.html
001 岐阜県 中津川 付知 ロードイン長城
博物館による町づくり
https://www.gifu-museum.jp/museum/wp-content/uploads/2022/03/103.pdf