北夕炭鉱、北菱鹿島炭鉱は北海道夕張市にあった炭鉱。2つの炭鉱が隣接していた。 北夕炭鉱は1949(昭和...

北夕炭鉱、北菱鹿島炭鉱

北夕炭鉱、北菱鹿島炭鉱 概要・歴史

北夕炭鉱、北菱鹿島炭鉱は北海道夕張市にあった炭鉱。2つの炭鉱が隣接していた。 北夕炭鉱は1949(昭和...
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北夕炭鉱、北菱鹿島炭鉱 ストリートビュー・空中写真

北夕炭鉱、北菱鹿島炭鉱 関連ブログ・参考リンク

http://www.asahi-net.or.jp/~re4m-idgc/3HOUMONU.htm
北夕炭鉱と北菱鹿島炭鉱北菱鹿島炭鉱にて清水沢から南部へ向かう途中の夕張川の南側に二つの炭鉱、北夕炭鉱と北菱鹿島炭鉱がありました。北夕炭鉱は昭和24年に札幌鉱山株式会社の手により開鉱、翌年会社名称を夕張炭鉱株式会社に変更しました。最盛期の昭和40~42年には年間
http://hikyoutaki.blog.fc2.com/blog-entry-635.html
ここは、今年の春に探険した夕張鹿島地区に残る北菱鹿島炭鉱跡で、昭和45年頃に廃鉱になったようです。車道の向かいから見えるボタ山がいい目印になるようで、廃屋のそばにある十亀和橋を渡ると何やら?道はすぐにT字路になり、右側と正面奥に遺構が残っているそうで、まずは近
http://teruhiko.at.webry.info/201006/article_4.html
沿革昭和24年札幌鉱山株式会社により開鉱昭和25年夕張炭鉱株式会社に社名変更昭和45年閉山夕張の遠幌から南部へ向かう途中で、川の対岸にズリ山が見えます。北夕炭鉱と北菱鹿島炭鉱のズリ山です。今回は、北夕炭鉱を探索して見ました。国道付近から見たズリ山です。路線バス
http://nonintheair.blog78.fc2.com/blog-entry-1336.html
夕張の北菱鹿島炭鉱を見にいったのだけど、その手前に素敵な遺構が散らばっていたのでそちらを探索。どうやらここは、北夕炭鉱というらしい。いきなり出迎える、巨大コンクリ。テンション上がります。上部には水が溜まっていました。川の中にある遺構。何これ!何これーー!!
http://s.webry.info/sp/teruhiko.at.webry.info/201006/article_5.html
沿革昭和27年北菱産業株式会社により開鉱昭和47年自然発火による坑内火災の為、坑道注水。同年坑道水没状態のまま閉山最盛期年産15万t以上。北夕炭鉱に隣接して存在する炭鉱です。こちらの方が、清水沢寄りにあります。開鉱時期、閉山時期とも、両炭鉱は、似通っています。
http://hikyoutaki.blog.fc2.com/blog-entry-636.html
遺構を目指し斜面をよじ登ると、苔に覆われたり崩れたコンクリートの残骸を次々発見ワイヤーで繋がっていたと思われ、最上部に登ると、うず高く残るボタ山だった。滑り台のような遺構眼下に見える川向かいは。かつて南部幌南地区と呼ばれ、商店街や大小の炭鉱が密集していた。現在
https://ameblo.jp/ooyubari9237-2019/entry-12589608601.html
三菱大夕張鉄道の列車で大夕張に向かうと、遠幌・南大夕張間の駅でも無いところで、線路が突然分岐して石炭積込のポケット(ホッパー)が建っていた。戦後、傾斜生産方式により「製鉄」「石炭」に政府資金が投じられたが、大夕張鉄道沿線でも中小炭鉱の開発が始まった。「北夕炭鉱」は札幌鉱山株式会社が北夕鉱業所を開坑、1949(昭和24)年9月より大夕張鉄道線清水沢起点5.4km地点に専用岐線とポケットを新設、石炭の積出開始した。1952(昭和27)年3月夕張炭砿株式会社北夕鉱業所と社名変更して、最盛期には年間10万t前後を出炭した。