基安鉱山 関連ブログ・参考リンク
http://orange.zero.jp/zbc54213.wing/motoyasu-.html
motoyasukoozan基安鉱山1/1愛媛県西条市川来須訪問日:2009年基安鉱山は愛媛と高知の県境にある伊予富士の北斜面に位置する。この加茂地区にはこの辺りから石鎚山の北側にかけて他にも新居鉱山や西之川鉱山などいくつかあり大森鉱山、龍王鉱山など小さなもの
http://blog.livedoor.jp/danke323/archives/50656768.html
わたしの大好きな&尊敬する「荒獅子さん」のHPを見て前々から行きたいと思ってた『基安(もとやす)鉱山跡』へついに行ってみました(゜∀゜)旧寒風山トンネルの西条(愛媛)側のところから行けるので、林道も通りたかったけど混雑するのは分かってたのでやめました。(今日行
https://blogs.yahoo.co.jp/frick000/9466842.html
アンチモンが採れる市之川鉱山なんかは子供の頃から知っとっが、旧の寒風トンネル近くに「基安鉱山」というのが在ったのは知らんかった。県下有数の鉱山で、72戸の鉱山集落があり500人あまりが生活しよりました。ほいで朝早くからE尾先輩と出発。寒風山トンネルの手前までは
http://entotsuyama.hobby-web.net/ishisonota9urapanpu.html
平成20年10月4日裏寒風山を這い上がれ寒風山林道西条側西尾根取り付きー裏寒風展望所ー寒風山ー桑瀬峠ー旧寒風山トンネル西口ー基安(もとやす)鉱山跡ートンネル西口ー(自転車)-登山口車この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図500
http://heyaneko.jugem.jp/?eid=827
平成29年4月8日(土)、愛媛県の廃村めぐり。途中ノ川からは入口(馬返)まで来た道を戻り、クルマを湯浪で折り返して、西条市街付近を経て、2番目の目標基安鉱山集落跡を目指した。基安は私の予測では、R.194新寒風山トンネル入口付近から桂谷沿いの道に入り上り詰めた
http://userweb.shikoku.ne.jp/mineral/yamane-e2.htm
黒石ステーション(昭和初期)黒石ステーションは、東平から最新式玉村索道によって運ばれた鉱石を一時貯鉱し順次、下部鉄道の鉱車に搬入する一大輸送基地であった。巨大な貯鉱場が特に印象的である。開設は、下部鉄道竣工から12年を経た明治38年で、東平-黒石索道完成と同時
https://ameblo.jp/ameba5245/entry-12504508696.html
旧寒風山トンネル北口から基安鉱山住宅跡を見に行ってきました。基安鉱山跡は正面の伊予富士から切れ落ちる桂谷にあります。
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/38.Ehime/Saijo_Motoyasu.html
◆基安(もとやす)鉱山※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「日比原」(昭和45.3)を使用したものである所在:西条市藤之石丁(ふじのいし てい)地形図:日ノ浦/日比原形態:山中に家屋や施設が多数集まる標高:約950m訪問:2018年8月 大字藤之石の南東部、桂谷(加茂(かも)川二次支流)左岸側の山中にある。主に銅を産出した基安鉱山に伴う鉱山集落。高知との境界にある寒風山(かんぷうざん)より、南西におよそ1.5㎞。 市誌(昭和41年刊)には、「現在は高知県境にかけて基安鉱山がある。(略)…小学校もこの地区のために分校をもうけ、教育上にも支障はなく選挙の投票所もこの地区のために特設され、権利の行使も完全、特に投票率が西條市内で最良であることなど、従業者は平和に生活している」との記述がある。昭和33年5月現在、79戸297人。 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9 何かを祀った跡?写真10 集落南側の石段写真11 校地を俯瞰写真12 校地にて。写真11の下写真13 校庭の一部写真14 校舎跡?写真15写真16写真17写真18写真19写真20 貯水槽?写真21写真22写真23写真24 石段写真25 貯水槽写真26写真27写真28写真29写真30写真31写真32写真33写真34写真35写真36 レール写真37写真38写真39 索道支柱写真40 電柱写真41 電気関係の設備写真42写真43 遺構。奥はズリ写真44写真45 ズリ山からの眺め
https://arajishi.net/yama/yama006.html
山を歩く(その6) 平成17年3月19日基安鉱山跡を訪ねて昭和47年に閉山となった基安鉱山。一度は訪ねてみたいとかねてから考えていたが、結局実現しないままでいたので思いきって行ってみることにした。ここへのルートは、旧寒風山トンネルから下る道が一番近くて早いが、当時の人がそうしていたように、川来須から登ってみることにした。朝6時30分に出発。千町入り口付近は現在仮道がつくられ復旧工事中。(左)下津池付近からみた寒風山。(右)新寒風山トンネル付近に車を止め徒歩で出発。奥に高知県境の山々が見える。(左)途中、川来須の山の神さんがあった。(右)桂谷を登る。台風の災害でところどころ土砂が流れ込んでいた。(左)基安鉱山で使われていたと思われるトロッコの残骸があった。大水でこんなところまで流されていたのだ。(右)小さな滝があった。心がなごむ風景だ。(左)谷をどんどん上流へ登る。高知県境がどんどん近づいてくる。(右)1時間半ほど歩いてこんどは山を登る。台風災害のため途中道がなくなっている箇所がたくさんあり予想以上に手こずった。(左)なんとか登りきり、基安集落に行く道に出ると道にうっすら雪が残っていた。(右)しばらくすると石垣が見えてきた。基安集落に到着した。歩き始めて2時間20分がたっていた。(左)これは、銅の精錬所の跡だろうか?こういう釜が至るところに残っていた。(右)集落から見上げると朝日に輝く伊予富士を望めた。(左)集落の石段は、木が生い茂っていて進むのも一苦労する状態になっていた。(右)突然、バックネットのようなものが・・。しばらくしてわかった。基安分校跡だった。(左)校舎は取り壊され、ここに分校があった痕跡はみあたらない。(右)鉱石を川来須まで運んだ索道の跡。付近には鉱山で使ったと見られる色々なものの残骸が積み上げてあった。(左)近くには大きなズリ跡があった。閉山後30年以上過ぎているためか、鉱石にはコケが生えていた。(右)集落には、かつてここで生活をしていたなごりがたくさん残っていた。(左)しばらく休憩後、坑口に向かって出発。途中旧194号線が見えた。現在は台風災害のため通行止めになっている。(右)坑口へは比較的わかりやすい道がついていたが、伊予富士北斜面の急な坂を上るため結構疲れた。(左)途中、寒風山がきれいに見えた。この方向から見る寒風山はまた違ったおもむきだった。(右)基安集落がだいぶ低い位置に見えるところまで登った。大きなズリ跡がわかる。(左)約30分で伊予富士の北斜面にある坑口に到着。入り口はかたくとざされていた。標高は1000mを越えている。(右)坑口付近にある索道施設の跡。(左)丹念に積み上げられた石垣。よくこんな急斜面につくったものだと感心した。(右)坑口をあとに基安集落まで帰ってきた。南に伊予富士(写真)北に寒風山が望める。(左)集落を跡に帰途につく。振り返ると高知県境の桑瀬峠が見えた。(右)山歩きのページへ戻る。