木屋瀬炭鉱 関連ブログ・参考リンク
http://otchee.com/phoblog/2011/10/post-129.html
鞍手軽便鉄道(帝国炭業→九州鉱業→筑豊鉱業鉄道)の野面駅跡に、コレが設置されてました。煉瓦遺構が残っているので、久しぶりに見に行ってみようと思って来てみたら、まさかの案内板設置でした!案内板には当時の駅周辺の地図が載っていて、位置関係がよくわかりました。駅と炭
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/423.html
香月駅から岩崎方向へ少し戻ったところ付近このあたりから剪定された木の方向へ分岐してたらしい木のお宅の裏側(わざとボカシてます)煉瓦橋台が残ってます、拡大するとこんな感じ民家の裏に向かってレンズを向けるのはとっても気が引けるし結構ヤバイ(^^;なので長居せずにそ
https://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-11709305519.html
この木屋瀬炭鉱以前は金剛炭鉱で、その後も鉱業権者が入れ替わり立ち替わりして詳細もわからずじまいでした木屋瀬炭鉱は、明治35年、有馬秀雄氏に鉱業が移り、恵木岩吉氏が経営にあたり金剛炭鉱から木屋瀬炭鉱と改称する明治43年1月、には、木屋瀬採炭株式会社に木屋瀬炭鉱の
https://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-11708151903.html
以前、野面駅の更新をしましたその探索時、南東側に煉瓦遺構を発見したこれは、あきらかにエンドレスの橋脚跡ですその証拠に、真っ直ぐに伸びた道です航空写真で確認します左上矢印は、野面駅前通り1は、金丸炭鉱跡と野面駅そして、右下の2つの矢印がエンドレス軌道が確認できま