波佐見鉱山(波佐見金山)は長崎県東彼杵郡波佐見町にあった鉱山。 1896(明治29)年に波佐見村湯無田...

波佐見鉱山

波佐見鉱山 概要・歴史

波佐見鉱山(波佐見金山)は長崎県東彼杵郡波佐見町にあった鉱山。 1896(明治29)年に波佐見村湯無田...
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新聞記事文庫 金・銀(01-042)時事新報 1914.2.2(大正3)波佐見鉱山近況収益見込尚お不確実(小野興銀副総裁談)昨年興業銀行整理の際問題となりし波佐見鉱山の状況視察に赴きたる小野興銀副総裁は三十一日帰京して語りて曰く波佐見金山は鉱区は約二百万坪に亘り精錬所の坪数も千坪に達し四百五十馬力の電力を使用する等其組織は実に堂々たるものなり一昨年は四十五万円の産額ありて二十万円の利益を得たれども昨年は産額二十三万円に減じたる為め僅に収支相償えるのみ左れば将来果して利益を挙げ得可きや否や明かならず本年上半期の平均品位は百万分の四、五の予算なれども其経営を確実ならしむるには此の平均品位を高むるを要す興銀にて投入せし資金を回収するは前途尚お遼遠なれども目下の見込みにては鉱量も多かる可き模様なれば一層採抗を充分にし鉱量の測定に力を尽さんとて調査を為したり昨年炭鉱汽船会社を辞して赴任したる支配人窪田四郎氏は病を得て入院したれば今回技師長として新に神田礼治氏を伴い又附近に在る曲川金山の鉱石購入の仮契約をも結びたり云々データ作成:2001.7 神戸大学附属図書館
https://misakimichi.com/archives/706
明治二十九年、金鉱脈を発見し、翌三十年、鹿児島県祁答院重義により採鉱開始し、日露戦争時(明治37・38年)有望金山として外債募集に役立った。坑道は西側に朝日坑をはじめ五坑、東側に三坑、その他に一坑があり、鉱石は電車で精錬所(現在の白山陶器)に運び粉末に砕き、金、銀をとり出していた。電力は初め川上水力発電所からの送電によったが、のち火力発電所(赤煉瓦建物)を設けた。明治四十三年、日本興業銀行が直接経営に当り”波佐見鉱業株式会社”となる。大正三年八月、貧鉱となって、突然閉山した。この間、金一、〇三三Kg(二七五貫余)、銀二、三九四Kg(六三六貫余)を採掘する。その後、金山は三菱鉱業の手に移り、大東亜戦争中、大村空廠が疎開して坑道に地下工場を設けていた。平成四年一月    長崎県波佐見教育委員会