横山隧道は滋賀県長浜市鳥羽上町と米原市菅江の間にある廃隧道。滋賀県道244号新横山トンネル旧道に位....

横山隧道

横山隧道 概要・歴史

横山隧道は滋賀県長浜市鳥羽上町と米原市菅江の間にある廃隧道。滋賀県道244号新横山トンネル旧道に位....

横山隧道 画像

横山隧道米原市側坑門(2017年11月)
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横山隧道米原市側坑門
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米原市側扁額
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長浜市側坑門
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長浜市側坑門
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長浜市側扁額
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長浜市側開通記念碑
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米原市側開通記念碑.
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近くのスポット

横山隧道 ストリートビュー・空中写真

横山隧道 関連ブログ・参考リンク

https://minkara.carview.co.jp/userid/1796277/blog/40665151/
今日は滋賀県米原市と長浜市の市境に遺る「横山隧道」と彦根市内に遺る「佐和山隧道」へと行ってきました。最初に訪れたのは横山隧道。米原市側から旧道を歩いていきます。横山隧道です。開通は大正12年だそうです。扁額です。中へと入っていきます。洞内は総煉瓦積みで、長さは163mだそうです。道路トンネルなんですが、なぜか鉄道トンネルみたいに煤の塊が壁面に付着しています。昔の車は触媒が付いていなかったので、排ガスの煤が長年の間にこびりついたのでしょうか?水抜き用の穴?。
http://sputoyo877.com/dyokoyama.html
 特選隧道 File.22よこやま横山隧道長浜市鳥羽上町~米原市菅江旧県道244号(旧大野木志賀谷長浜線)廃隧道1923年(大正12年)竣工延長163.6m 幅4.5m 高さ4.2m 土木学会選近代土木遺産Bランク2007年3月初訪問2018年11月再訪鳥羽上町側 長らく現役旧道として余生を送っていたが、遂に封鎖されてしまった。遊歩道として再利用して頂きたい名品。冠木門タイプの重厚な坑門を持つ。両側の翼壁は雨樋の役割も果たしており、その機能美は正に芸術品。内部も補修は少なく、煉瓦アーチが綺麗に残されている。鳥羽上町側の扁額には「開衆正門」、菅江側は…未だ判明していない模様です。ご存知の方、ご教示を…菅江側      2007年3月初訪問   2012年12月まきき氏、doodoongoo氏ご招待OFF時に訪問
http://www.kyudou.org/KDC/kokoku/yokoyama_00.html
横山隧|行政:滋賀県長浜市〜米原市標高: 160m道■■|1/25000地形図:長浜(岐阜12号-4)調査:2005年2月■背景 Background 長浜市と米原市(旧山東町)の境にある煉瓦造りの隧道.着工は大正8年冬と佐和山隧道より後だが、佐和山隧道が竣工するよりも早い大正12年春に完成している.従って、一連の村田鶴の作品の中では最も早く竣工したものと言える.平成13年に新しいトンネルが完成するまで,実に80年近くも現役であり続け,しかも完全に当時の姿のままであるところに高い価値がある.あの鐘ヶ坂隧道でさえ,補修を受けて84年なのである.■調査 Experiment 米原市の側に広がる田園地帯は,横山の峰を隔てた長浜側のそれに比べて30mほど高い.従って,両者をつなぐ隧道はいわゆる片峠の様相を呈している.東側から登ればほとんどアップらしいアップはなく,新トンネルも西側に大きく傾いていて,まるで米原側へ落ちていくかのようだ.(写真は現県道から菅江集落を見る)   新道と旧道は菅江の上手で直交する.分岐点から隧道へはわずかの距離とアップで到達.真っ直ぐ延びる道の先に,煉瓦と石のポータルが威厳に満ちてそびえている.壁面の煉瓦はイギリス積み.笠石の上にピラスターが突出するタイプの冠木門ポータルである.壁面の煉瓦の染みが長年の苦労を偲ばせるが,煉瓦や石そのものに損傷は全くなく,見事なものだ.       この隧道の面白いところは,両側に煉瓦製の樋が設けられていることだ.ピラスターの手前に煉瓦の壁と溝が見えるが,これをずっと辿って行くと,2度折れ曲がって,ポータルの上につながっているのである.ポータル上部にも煉瓦で溝が切ってあり,山から流れてくる雨水を逃しているようだ.この日も若干の山水が樋を伝って流れていた. 同じ形式の樋は佐和山隧道や,後に報告する賤ヶ嶽隧道にも見られるもの───但しまともに機能しているのはここだけ───であり,この時期の3つの煉瓦隧道に共通する構造である.村田鶴の設計の特徴と言えそうだ.ちなみに,ピラスターと一体化している最下段の樋に...入札犬上郡青波村大字古澤阪田郡鳥居本村大字古西法寺 地内一,朝鮮人街道々路改修工事(隧道工事含ム) 着手期日 大正八年八月一日 竣工期限 大正十年二月末日 入札保證金壹千五百圓阪田郡 東黒田村大字菅江    西黒田村大字鳥羽上 地内一,黒田道道路改修工事(隧道工事含ム) 着手期日 大正八年八月一日 竣工期限 大正十一年二月末日 入札保證金壹千五百圓 各契約保證金請負金ノ十分ノ一以上(圓位未満ハ圓位ニ切上ク)右競争入札ニ附ス請負望ノ者ハ明治三十六年七月滋賀縣令第三十一號滋賀縣工事執行規程及同月滋賀縣告示第二百六號滋賀縣工事請負準則ヲ遵守シ本縣内務部土木課ニ就キ設計其他開札前日迄ニ承合シ來ル七月十四日午前第十一時迄ニ同課ニ於テ各別ニ入札スヘシ即時開札ス 追テ入札者ハ本縣工事執行規程第五條ノ資格ニ依ル外左ノ各項ノ資格ヲ有スル者トス 一,隧道工事ヲ請負タル経歴アル者 二,営業税年額五拾圓以上納付スル者大正八年七月二日   滋賀縣※一部旧漢字を新字体に変更 隧道工事の経験者に限っているのは───横山以前に作られていたのは杉本隧道と政箕隧道だけなので───少々厳しいかとも思ったが,それはそれ,道路用隧道に限ったものではなかったはずだ.長浜〜敦賀にかけての北陸線は東海道線に次ぐ古さであるし,東海道本線のトンネルのいくつかは明治20〜30年頃の作である.工事経験者が多くいても不思議ではない. 追記として,東口の扁額の姓名印(左),雅号印(右)を掲げておく.撮った当初はピンボケで全く無駄なことをしたと思っていたが,後に佐和山隧道の扁額のそれを撮って,同じであることに気づいた.これが堀田の印であることが判明したお蔭で佐和山の扁額も堀田筆であることがわかり,さらに佐和山隧道の印から賤ヶ嶽隧道の扁額も堀田の筆ではないかという見当がついた.記念すべき印である.  ■参考文献 References『滋賀県土木百年年表』,滋賀県土木部,昭和48年(1973)『滋賀県の近代化遺産調査報告書』,滋賀県教育委員会,滋賀県,平成12年(2000)『ふるさと長浜』,長浜北高校歴史部,長浜市教育委員会,昭和48年(1973)『滋賀県公報』,滋賀県→鈴鹿隧道(大正11年着工)へ 湖国の旧隧道群リストへ総覧へ戻る
http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_kyu-k244.html
【滋賀県・県道244号線横山隧道】滋賀県は琵琶湖の東岸に位置する、長浜市と山東町の境に県道の旧道部分があります。そこには長い間使われて来た、煉瓦造りの隧道がひっそりと存在しています。青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント  今回レポートした所以外にも 旧道部分がありますが、 なんと言っても見所は 煉瓦造りの隧道でしょう。 まさしく「ずいどう」って言葉がぴったりの 雰囲気満点の物件です。 いっしょに地図も見てね ■周辺図■ 街と町の間に横たわる、 小さな山を越えるために ここには古くから隧道がありました。 しかし時代の流れには勝てず 今は広くて快適な、 国道と見まがう程のトンネルが出来ました。 山東町側からは、 旧道化した県道がさらに登って行きます。 ここら辺は近代的な風景ですが、 間もなく目の前にあらわれるのは…  煉瓦のトンネル 横山隧道です。 大正時代にタイムスリップした様です。 先程までの現代的な景色がうそみたいです。 なんか路面に枝や葉っぱが落ちていて、 まるで廃道の雰囲気ですが、 これは、この前上陸した台風6号のためでしょう。(それとも、落ち葉が積もるくらい  車が通らないからなのかしら?)  見て下さい。この「時代」が付いた姿を。 扁額には隧道名じゃなく、 何だか変わった書体で、 漢文らしき文字が彫り込んであります。 達筆すぎて読めませんね。 石を積んで、柱の様に見せているデザインは まるで、洋風建築みたいです。  隧道横の排水施設のアップです。 ここだけ見ると、遺跡の様でもあります。 いやむしろ廃虚? 「自然」に飲み込まれる人工物。 ここにはある種の美しさがあります。 人はそれを「廃虚美」と言います。  隧道の内壁です。 きっちり積まれていて、 いささかの歪みもありません。 所々開いている穴は 水抜きのためなんでしょうか?  隧道の東、山東町側の入り口を 隧道の中から見てみました。 今日は6月の最終日曜日、梅雨真只中です。 この日も雨模様で、小雨が降る中での探...って、 パネルをはめ込んでいくだけなので 手間いらずですね。 機械まかせだし。(それは地下鉄のトンネルでしょ☆⊂(´Д`)  こちらは山東町側とは違って きれいな姿です。 なぜかしら? それはよく県境の道路のアスファルトの色が 違ってたりするのと同じで、 管理する町が違えば 管理の程度に差が出るのでしょうか。 こちらの長浜市の方が 古い隧道を大事にしているのかも?  入り口のデザインは、 反対側と同じようです。 こちらの扁額にも、書体は違えど 読めない文字が書いてあります。 それにしても、 赤い煉瓦と石の部分が 絶妙にいいバランスです。  今日は雨降りですが、 むしろそれが幸いして 風景全体が深みを増しています。 残念ながら、写真じゃ再現しきれてませんが…  隧道を抜けると石碑があります。 大正十二年に建てられた物です。 横山隧道の建設も 大体そのあたりの年代でしょう。 この石碑には沢山の名前が刻まれてますが 工事にたずさわった人の名前だそうです。 森の中に佇む姿は何だか モノリスみたいです。 (2001年は過ぎたけど)  旧道は左に曲がって、 現道の新横山トンネルの上を越えて行きます。 やっぱり、この荒れ様は台風のせい? なんだか廃道のようですが、 ガードレールやその他の設備は 問題ないようです。  右に見える円いコンクリートが 新横山トンネルの部分です。 ポータルって言う所でしょうか? それにしても、 路面いっぱいに土が溜まっています。 崖から流れ出したみたいです。  上の写真の所より旧道は ため池を周り込んで来て、 現・県道244号線に合流します。 旧道は現道に繋がる所で途切れていますが、 以前は、正面の コンクリートの壁の所までありました。 よく考えたら、 現道って神社の境内を突っ切っていますよね。 それってけっこう強引かも… 新しい物のために失われていく物もありますが、 あの隧道だけは無くさないで下さいね。■今や貴重な存在になりつつある煉瓦隧道です。もはや遺跡のような風格すら漂っていますが、末永く保存していって貰いたいものです。[2004年6月27日現在]■道ネタ「隧道」TOPへ…■
https://ameblo.jp/bashi-heppoko/entry-11362456912.html
滋賀県の長浜市と米原市とを貫く大正時代に作られた煉瓦隧道です。ちなみに近大土木遺産2000選のBクラス指定を受けている隧道です。 隧道諸元竣工・・・1923年(大正12年)延長・・・163.6メートル高さ・・・4.2メートル幅員・・・4.5メートル設計・・・村田鶴東側(米原側)抗門 抗門はイギリス積み煉瓦、側壁長手積み煉瓦、アーチ部長手積み煉瓦、アーチ環・要石・笠石は石材で造られている。馬蹄形断面、冠木門型ポータルは実に素晴らしい。
http://haisentn.blog41.fc2.com/blog-entry-1471.html
観音坂隧道から直線距離で僅か1km南にも、同じ横山山系を貫く横山隧道が存在しています。横山隧道は観音坂隧道よりも古い大正12(1923)年の竣工で、新横山トンネルも観音坂トンネルより早い平成14(2002)年に開通していることから、県道244号と県道509号は並行する2つの県道ではあるものの、県道244号の方がより重要な路線と見なされているようです。なお、現在における両県道の交通量には大きな差はありません。米原側旧道分岐(平成27年12月12日撮影)私が初めて横山隧道を訪れた平成17(2005)年の時点で、旧道落ちから3年が経過していたけど、この時はまだ旧道は開放されていて隧道内の照明も点灯していました。しかし、それから10年後の平成27(2015)年に再訪したところ、旧道の入口には簡易ゲートが設置されて車両では通り抜けられなくなりました。20年ぐらい前までは、ここに限らず新道開通後も通れた旧道が多かったですが、2000年代に入ってから不法投棄が急増したためか、山間部では塞がれる旧道が多くなったような気がします。米原側の旧道に建つ髙森慶多郎之碑米原側の旧道には新トンネル開通時に、横山隧道創始者として髙森慶多郎之碑が建立されました。地元にとっては愛着のある隧道のようなので、旧道が車両通行止になっても隧道が埋められたりすることはなさそうです。
http://www.tunnelweb.jp/kinki/25shiga/other/yokoyama.html
横山隧道よこやま米原市道米原市(山東町)-長浜市延長164.0m 幅員3.80m 竣工 1923年 ここに隧道を掘ろうとしたのはは高森慶多郎という人物である。東黒田村長から坂田郡会議員まで務めた彼は、大正8年にこの隧道が滋賀県によって着工されるまで幾多の苦労を重ねたようだ。隧道の完成を見ることなく病に倒れた彼の功績を検証する碑が新しいトンネルの近くに建っている。また、この長さで内部がすべて煉瓦巻き立てのまま残っていてなおかつ現役というやはり稀有な存在でもある。←档鳥隧道位置 高速自動車国道一般国道都道府県道市町村道その他廃隧道等
http://blog.livedoor.jp/hami_orz/archives/52089282.html
北陸自動車道 米原ICで下り、国道21号~国道8号 敦賀・長浜方面へ※平成26年9月訪問下坂中町交差点から県道244号を関ヶ原方面へトンネルに差し掛かったところの鳥居が目印その辺に車を置いて旧道を歩く λ.......この暗闇の中に、超マイナーな鳥羽上城趾への登り口がある。