音別炭鉱(上音別炭鉱)は北海道釧路市(旧・音別町)にあった炭鉱。根室本線音別駅の北方22.5kmに位置...

音別炭鉱(上音別炭鉱)

音別炭鉱(上音別炭鉱) 概要・歴史

音別炭鉱(上音別炭鉱)は北海道釧路市(旧・音別町)にあった炭鉱。根室本線音別駅の北方22.5kmに位置...
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音別炭鉱(上音別炭鉱) 関連ブログ・参考リンク

http://nonintheair.blog78.fc2.com/blog-entry-3930.html
釧路市(旧音別町)にあった、音別炭鉱の跡を探しに行ってきました。この辺りに石炭があることが知られたのは明治時代と古いのですが、軍部用地だったために鉱区の出願が許可されず、許可が下りた昭和12年に開坑、一度閉山を経て、営業者が変わって昭和21年に音別炭鉱株式会社として運営されました。その後、昭和32年に釧路市の栄和産業が鉱業権を取得し、栄和産業上音別炭鉱と名前を変えて操業。昭和37年に坑内火災が発生し、全面坑内注水をせざるをえなくなり、閉山に至ったそうです。昭和23年にも坑内火災があったという記述があるので、燃えやすい炭鉱だったのかもしれませんね。
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_02033_1961_D.pdf
上音別炭礦位置・交通:釧路国白糠郡音別村字上音別にあり,根室本線音別駅の北方22.5kmに位置する。音別駅-チャンべツ間には村道が通じ,降雨期や融雪期にもトラックの運行に支障はないが,チャンべツから山元問までの約5kmの間は,音別川の増水期にはトラックの運行が不可能になることがある。沿 革:本鉱区は明治年間から産炭地として知られていたが,陸軍軍馬補充部の用地の一部であったため,鉱区出願が許可されなかった。補充部の用地の一部が解放される
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/01-2.Doto/Onbetsu_Honryu.html
      ◆本流(ほんりゅう)※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「上茶路」(昭和51.2)を使用したものである所在:釧路市音別町音別原野基線(おんべつちょうおんべつげんやきせん)地形図:縫別/上茶路形態:川沿いに家屋が散在する標高:約90m訪問:2013年6月  字音別原野基線の北部、音別川沿いにある。 町史によると、集落の起源は明治期の殖民区画の貸付による開拓とされる。明治35年当時の入地者は、岩田・登・真鍋・佐藤・福田・大須賀・川原・登・浜田・神戸・朴・橋本・浜田・多胡・山本・十河・登・百刈・世界・佐藤・菊地各家の計21戸か。神社には八幡神社のほか本流神社があったが、川そばの崖の上にあり危険であったため、昭和12年に八幡神社に合祀された。 以下は集落にあった学校の沿革。(小学校) 大正7.9 音別第二小学校附属上音別教授場設置 昭和3.5 上音別小学校となる 昭和16.4 上音別国民学校と改称 昭和22.4 上音別小学校と改称 昭和26.2 校舎移転 昭和40.3.31 閉校(中学校) 昭和25.4 二俣中学校上音別分校開校。小学校に併置 昭和26.2 校舎移転 昭和29.4 上音別中学校となる 昭和40.3.31 閉校 現在家屋はほとんど残っていないが、それとなく宅地があったことが分かる。多くが牧草地。道路から少し山に入った平坦地では、八幡神社(跡?)(写真6)が残されている。 写真1 牧草地写真2 畜恩碑写真3 屋敷跡の一部写真4 サイロ写真5 何かの跡写真6 神社。本殿(左)・拝殿(右)