上茶路炭鉱(かみちゃろ - 、雄別炭鉱上茶路鉱)は北海道白糠郡白糠町にあった炭鉱。 1964(昭和39)年...

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名称 上茶路炭鉱
住所 北海道白糠郡白糠町上茶路基線
種類 廃鉱・採石場跡
北海道の廃鉱・採石場跡
スコア
★★★★★★★ 31
現況 現存
評価 ■■

上茶路炭鉱 概要・歴史

白糠炭田最後のヤマ

上茶路炭鉱(かみちゃろ - 、雄別炭鉱上茶路鉱)は北海道白糠郡白糠町にあった炭鉱。

1964(昭和39)年3月に庶路炭鉱が合理化により閉山したことを受け、雄別炭鉱が開坑、1966(昭和41)年から営業出炭を開始した。

わずか4年後の1970(昭和45)年2月、雄別三山の閉山に伴い上茶路炭鉱も閉山となった。この閉山によって白糠町の人口は急減した。

炭鉱そのものは北海道道665号上茶路上茶路停車場線の起点付近にあった。同道は石炭を運搬する目的で作られたもので、国道392号からかつての旧上茶路駅までの区間は廃道と化している。

ズリ跡など僅かな遺構が残る。また坑口から石炭を運んだ軌道を覆っていたシェードらしい鉄骨が見られるらしい。

地図は白糠線上茶路駅跡。同線も1983(昭和58)年10月23日に廃止され、朽ちたホーム跡が残るばかりとなっている。

上茶路炭鉱 画像

炭鉱住宅の並ぶ往時の上茶路駅付近
炭鉱住宅の並ぶ往時の上茶路駅付近
©国土地理院

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上茶路炭鉱 ストリートビュー・空中写真

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上茶路炭鉱2011年5月探訪上茶路炭鉱は、雄別炭鉱の期待をあつめて、昭和38年開坑に着手した。雄別の中では一番新しく、将来性のある炭鉱であった。炭鉱までの道のりは、昭和40年に白糠町で産業道路として完成させた。将来の運炭計画は白糠線、上茶路駅から白糠駅までの5
エアぶろ 白糠町 上茶路炭鉱・1
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白糠町庶路炭鉱の閉山(昭和39年)に伴って、雄別炭礦が開発した上茶路炭鉱。産炭史には、白糠町の政治決着とあるので、町の産業衰退を防ぐために開発許可を出したのでしょうか。昭和41年から営業採炭が始まったそうです。炭鉱跡への林道は、鉄製のゲートで閉じられています。
白糠町産炭史 | 北海道産炭地域振興センター
http://www.santankushiro.com/town/history_shiranuka.html
白糠町の中核炭鉱である明治鉱業の炭鉱閉山で白糠町の人口は急減しませんでした。それは昭和39(1964)年4月白糠町の明治鉱業の閉山に伴って、同町域の上茶路鉱区を雄別炭礦の計画新坑として上茶路炭鉱の開発を政治決着させたからです。同41(1966)年上茶路鉱業所が営業採炭を開始します。上茶路から白糠駅までの白糠線(25.4km)が開業し白糠駅は同町の西庶路駅にかわって石炭積み出し駅として拠点化が進みます。しかし昭和45(1970)年2月の雄別三山の閉山に伴い上茶路地域に炭住街を形成した上茶路炭鉱も閉山されます。この閉山によって白糠町の人口は1万5千400人へと急減したのです。これ以降白糠町は音別町同様に工業団地への企業誘致を積極化していきます。
北海道道665号上茶路上茶路停車場線 第2部
http://dododrive.web.fc2.com/local/hokkaido/r665/report2.htm
延々と続くダート路。その向こうに何があったのだろう?と思う方もいるかも知れない。 このダート路の先、つまり道道の起点側には、かつて上茶路炭鉱という炭鉱が存在した。そもそもこのあたりは白糠炭田と呼ばれる産炭地であり、その最初の開発は1857年のことで、実は北海道の開発史とほぼ変わらない歴史を持っている。