上茶路炭鉱(かみちゃろ - 、雄別炭鉱上茶路鉱)は北海道白糠郡白糠町にあった炭鉱。 1964(昭和39)年...

上茶路炭鉱

上茶路炭鉱 概要・歴史

上茶路炭鉱(かみちゃろ - 、雄別炭鉱上茶路鉱)は北海道白糠郡白糠町にあった炭鉱。 1964(昭和39)年...

上茶路炭鉱 画像

炭鉱住宅の並ぶ往時の上茶路駅付近
©国土地理院

近くのスポット

上茶路炭鉱 ストリートビュー・空中写真

上茶路炭鉱 関連ブログ・参考リンク

http://members3.jcom.home.ne.jp/bighorn3/tankou/kamityaro/kamityaro1.html
上茶路炭鉱2011年5月探訪上茶路炭鉱は、雄別炭鉱の期待をあつめて、昭和38年開坑に着手した。雄別の中では一番新しく、将来性のある炭鉱であった。炭鉱までの道のりは、昭和40年に白糠町で産業道路として完成させた。将来の運炭計画は白糠線、上茶路駅から白糠駅までの5
http://nonintheair.blog78.fc2.com/blog-entry-4004.html
白糠町庶路炭鉱の閉山(昭和39年)に伴って、雄別炭礦が開発した上茶路炭鉱。産炭史には、白糠町の政治決着とあるので、町の産業衰退を防ぐために開発許可を出したのでしょうか。昭和41年から営業採炭が始まったそうです。炭鉱跡への林道は、鉄製のゲートで閉じられています。
http://www.santankushiro.com/town/history_shiranuka.html
白糠町の中核炭鉱である明治鉱業の炭鉱閉山で白糠町の人口は急減しませんでした。それは昭和39(1964)年4月白糠町の明治鉱業の閉山に伴って、同町域の上茶路鉱区を雄別炭礦の計画新坑として上茶路炭鉱の開発を政治決着させたからです。同41(1966)年上茶路鉱業所が営業採炭を開始します。上茶路から白糠駅までの白糠線(25.4km)が開業し白糠駅は同町の西庶路駅にかわって石炭積み出し駅として拠点化が進みます。しかし昭和45(1970)年2月の雄別三山の閉山に伴い上茶路地域に炭住街を形成した上茶路炭鉱も閉山されます。この閉山によって白糠町の人口は1万5千400人へと急減したのです。これ以降白糠町は音別町同様に工業団地への企業誘致を積極化していきます。
http://dododrive.web.fc2.com/local/hokkaido/r665/report2.htm
延々と続くダート路。その向こうに何があったのだろう?と思う方もいるかも知れない。 このダート路の先、つまり道道の起点側には、かつて上茶路炭鉱という炭鉱が存在した。そもそもこのあたりは白糠炭田と呼ばれる産炭地であり、その最初の開発は1857年のことで、実は北海道の開発史とほぼ変わらない歴史を持っている。