http://www7b.biglobe.ne.jp/~kitanohosomiti/top9300.html
中山鉱山跡で煉瓦の遺構に遭遇する北海道喜茂別町 非金属鉱物には硫黄・石灰石・珪石・蝋石・耐火粘土・ドロマイトなど多くの種類があるが、 製品とするために製錬過程を要するのは硫黄のみとなる。高度経済成長に伴う生産力の発展は工業用原料としての各種非金属鉱物の需要を高めてきた。例えば、セメント生産の拡大に比例して石灰石や珪石の需要を高め、ガラス生産の伸びは珪砂の消費を増やし、耐火煉瓦の高成長はドロマイトや珪石の市場を拡大した。しかしながら石油化学工業の発展による各種副産物の生産は、非金属鉱業生産物と競合することが少なくなく、これによって逆に鉱業生産の縮小を余儀なくされるケースも発生している。その最も代表的なものが硫黄鉱業である。日本における硫黄鉱業は代表的な非金属工業の一つであるだけでなく、石炭・銅・鉛・亜鉛などと並んで有力な鉱業であり、国内の硫黄需要のほとんどを供給していた。しかし、1960年代後半以降の公害問題の激化と規制の強化により、原油の脱硫が普及し、石油精製部門における回収硫黄の生産が急増したため、価格的に対抗しえなくなり、硫黄鉱業は衰退の一途を辿る。黒橋付近の喜茂別鉱山は昭和初期に村民により稼行され、昭和10年には二硫化製錬、昭和15年には蒸気製錬にも着手するが、昭和19年には硫黄鉱山整備により休山に至る。最盛期には戸数57戸を超え、自家水力発電所の建設にも至ったようだ。また、中山峠の南に位置する中山鉱山は昭和8年に発見され、昭和10年に精錬所建設、昭和27年には鉱員11名で稼行していたが、昭和30年代後半に閉山を迎える。採掘現場は標高749mの水準点付近で、西北に1,200m隔てた精錬所まで索道が敷設されていた。本鉱山跡は大動脈である国道230号線沿いに点在し、すぐ傍をバイパスで通り過ぎるにも関わらず、見向きをする人は皆無に近い。付近を歩いてハイクし、その遺構に到達したいと思う。ダム跡・精錬所跡・採掘跡・・・( ̄u ̄;)採掘現場跡トップページへ
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/01-3.Doo/Kimobetsu_Nakayama.html
◆中山(なかやま)鉱山※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「双葉」(昭和31.9)を使用したものである所在:喜茂別町川上(かわかみ)地形図:栄/双葉 中山峠/定山渓形態:山中に施設が集まる離村の背景:産業の衰退(非居住地?)標高:?訪問:(2014年5月) 字川上の南東部、中山峠から南西におよそ3kmに位置する硫黄鉱山。積雪により未訪問。 町史によると、昭和8年に倶知安の佐藤氏が発見したといわれるとのこと。同年、北海道鉱業株式会社の所有となる。昭和11年より出荷が始まったが、同年中止、翌年休山。昭和12年9月、多木製肥所が鉱業権を譲り受け探鉱。昭和27年11月、千代田興行株式会社の所有となる。当時職員1名、鉱員11名。昭和30年代まで操業。 鉱員の住宅があったかどうかは、同書から読み取れず不明。