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夕張北部炭鉱で火薬取扱所に入る北海道夕張市 採算や効率の悪い炭鉱は整理し、高能率の炭鉱は更に新設備を投入する。これがスクラップアンドビルド政策であり、当時本坑はビルド鉱のエースと謳われた。巨額の政府資金が投入され、総合監視制御室が存在した。運搬系統、そして主要設備の運転状況が一目で監視できるIT炭鉱であった。昭和45年に開発着手、48,49年に相次いで第一、第二竪抗が完成。昭和53年には独立した炭鉱となったが、56年のガス吐出大事故を受けて昭和57年12月、閉山と相成る。エネルギー構造の改革から斜陽化した時代後半に栄えた本坑。各炭鉱で企業合理化を避けることが出来なかった時代に、多額の投資をもって技術や人員をこの「新鉱」に集中させたにも関わらず、海面下600~800mレベルの深部採炭を開始したことは、盤圧やガス吐出による不具合を招く結果となってしまった。今回は初冬に現地を訪れ、大きな遺構にも出会えたが、93名の尊い命が奪われたことをも想いながらの探索となった。通洞・竪抗跡・火薬取扱所・・・( ̄u ̄;)竪抗跡トップページへ
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立坑跡にはちゃんと名前が付けられています。坑口名は第一立坑 坑口下の草に隠れて見えない部分は、「北炭夕張炭鉱株式会社 夕張北部炭鉱」と。その横には、三角形のコンクリート。こちらは第一立坑扇風機風道。こうやって見ると、風道にもいろんな形があるんですね。円かったり、隧道みたいなアーチ型だったり。ここのはとっても鋭角な形です。こちらにも名前の札が。
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夕張北部炭鉱 第一立坑坑口 取付てあるプレートによると、密閉完成が昭和58年9月26日夕張新炭鉱は1982年(昭和57年)10月に閉山なので、密閉が完成したのは閉山後の約1年後