槙山砲台 関連ブログ・参考リンク
http://sockpuppet.blog.jp/archives/20547965.html
日清戦争以降、対露戦の緊張が高まりつつある中、舞鶴軍港の建設と共にそれを守る沿岸砲台として舞鶴要塞が建設されました。複雑な舞鶴湾を取り囲む峰々の山頂部には、舞鶴湾へ迫る敵艦船の侵入を防ぐため東岸に浦入砲台、葦谷砲台。西側には金岬砲台、槙山砲台。そして敵の上陸に備えるための吉坂堡塁、吉坂付属堡塁、建部山堡塁。とまぁ、このような構成でボリュームたっぷりな舞鶴要塞。本気で見学するのなら一日仕事では済まないと思います。
https://www.moto-auc.com/report/turing/kansai/kyoto/3225
まず初めに向かうのは「槇山砲台跡」ここは全国に残っている砲台跡の中でも珍しい、車やバイクで現地まで行くことができます。京都府道601号線を北上します。
https://hardcandy.exblog.jp/24813262/
日露の軍事的緊張が高まる明治30年代初頭、舞鶴では軍港整備と平行して多くの砲台が周辺部に設置されました。舞鶴要塞と呼ばれた一連の施設は日露戦争終結後も舞鶴鎮守府防備の要として据置かれ、昭和20年の終戦までその任にありました。これら砲台跡の多くは取り壊されること無く残され、戦後70年を経た今日も山中に朽ちかけた姿を留めています。
http://yumisogun.blog.fc2.com/blog-entry-1141.html
さて、今回は阪奈軍團「軍報」の第139弾といたしまして、探訪ホヤホヤ状態の槙山砲台の遺構群を2回に分けてご紹介させてくださいませ↓槙山砲台は舞鶴要塞の 1つで1900年(明治33)に完成し、当初は15センチ臼砲の4門編成でしたが、1908年(明治41)に28センチ榴弾砲を 6門増強し防備についていました。
http://evnara.blog.fc2.com/blog-entry-45.html
明治時代、対露戦国土防衛として。そして舞鶴軍港を守る沿岸砲台として建設された舞鶴要塞の一角、金岬砲台跡/槙山砲台跡に行ってきました。「槙山砲台」着工1898年(明治31年11月)→竣工1901年(明治33年10月)昭和20年終戦まで稼働。道の駅 舞鶴港とれとれセンターの交差点を北へ。舞鶴湾沿いに車で約20分。槙山公園の看板を目印に山側へ細い道を登って行くと槙山砲台跡にたどり着きます。車で行ける比較的楽な場所ですが、道が細い為、対向車に注意が必要です。(今回1台だけ対向車に出会いました)
https://ameblo.jp/castleandmountain/entry-12801334253.html
軍港だった舞鶴港をロシア軍から防衛するために、陸軍が築いた舞鶴要塞の砲台の一つで、舞鶴湾入口の西側山頂に位置する。 山頂はパラグライダーの発進場でもあるので、晴れていれば絶景が拝めたはずだった。 山頂までは車道が敷設され、跡地には弾薬庫が並んでいるが、砲座は藪に埋もれているし、観測所も確認できなかった。
https://ameblo.jp/ns-c35-235/entry-11508944084.html
『槙山砲台』所属 舞鶴要塞起工 明治31年11月竣工 明治33年10月備砲 28cm榴弾砲6門 3砲座×各2門 計6門 15cm臼砲4門 2砲座×各2門 計4門第三砲座の西方10mに観測所を置き、さらに西北方750m、標高150mの位置に、観測所付属室・廠舎・厩を付属した槙山砲台低地観測所を設置。砲台の付属建築物として、弾廠・兵舎・監守衛舎・砲具庫・装薬調製所・炸薬填実所・炊事場・厠・貯水所なども設置してあったそうですが、現在確認できるのは砲座と掩蔽部(砲側庫)ですね。
https://tanukida.exblog.jp/30219164/
お船に乗れなかったで鹿ら、次の週も舞鶴に来たで鹿ら!今回は日帰り旅行ワンこれが槙山砲台跡で鹿?これも日本遺産だワン
https://blog.goo.ne.jp/ctx700dct88/e/f99b06d19772366ac61c570a49fe67f6
期待以上だったのは槙山の砲台跡からの日本海の景色だった。久しぶりに心躍る感動を受けた。
https://kidsmx.exblog.jp/29368689/
バイクを置いた場所に戻り、探索の格好のままで1.5kmほど軍道を登る。杉の葉はマシになったが、槙山は標高400m越え、今度は雪!が残る舗装軍道。もうカンベンしてよ(涙しかしながら天気はとてもよろしい!
http://nbcayabe.justhpbs.jp/0jshp/bunka/04makiyama/makiyama.html
槇山砲台跡 旧舞鶴要塞 槇山砲台 明治33年いつも山・山野草などの便りをいただく、舞鶴市の ふじもと様が3月に登られた時は、自衛隊のパラボラ分岐から先は積雪が30cmほどあったとのことである。車で上れるとのことで行って来た。引用1>西舞鶴市街から北へ約6km、舞鶴湾の入口部にある標高483mの槇山山頂、旧海軍の槇山砲台跡地の風致公園です。頂上からの眺望は極めて美しく、若狭湾国定公園のダイナミックな景観をぞんぶんに堪能することができます。由良金ヶ岬上福井線から分岐し頂上へは約5kmです。引用2> 日清戦争以後、日露の対戦は必至と見て海岸防備を急いでいた時代です。明治30年3月、舞鶴軍港の着工と同じくして、陸軍も同年11月に舞鶴要塞砲兵大隊の開設と葦谷砲台の起工を行いました。続いて浦入、金岬、槙山の各砲台、建部山、吉坂両保塁の設置に着手、同36年10月までに全工事を完成しました。舞鶴湾を挟んで東岸西岸側に、各砲台、保塁、弾丸本庫などを配置しました。海軍が主力であったため、その軍港施設を守るという性格上、こうした施設は湾口の岬、市内への進入路を見下ろす山の頂上に築かれていましたので、戦後無用となってからは、人が訪れることも少なく、長い間放置されたまま当時の姿を今も留めています。今日では、槇山がTVや各種無線の基地となって山頂まで道路が整備され、またこの槇山砲台跡からハンググライダーを楽しむ人が飛び立つ場所としても利用されています 赤煉瓦で作られた待避壕が、いくつも車道に沿って頂上付近に並んでいる。建物の側面などに階段があり上に出られる。出ると海に向かって緩いスロ-プの平地がひろがり、崖縁にはハンググライダ-が飛び立てる木製の平面ベ-スが設けられている。三カ所の飛翔基地があった。この平地からは素晴らしい展望が開けている 砲台跡の先端まで車が入る。行き止まりは通信施設を囲うフェンスが設けられ広くなっている 崖縁にはハンググライダ-が飛び立てる木製の平面ベ-スが設けられている。三カ所の飛翔基地があった。この平地からは素晴らしい展望が開けている 8合目あたりに大きな倒木が...源発する大河:由良川の河口が見える。はるばる美山、和知、綾部、福知山を流れ下り、Uタ-ンして大江、舞鶴に向かう由良川の河口である。河口の向こうが丹後由良海水浴場、栗田(くんだ)半島、その向こうに隠れて栗田湾、天の橋立、伊根の船宿で有名な宮津湾があり、遠く丹後半島が見渡せる。河口のこちら側は、舞鶴市の神崎海水浴場。この槇山に雲がかかって来ると海水浴場に雨が降り出すのを経験したものである 神崎海水浴場槇山からの眺望 「舞鶴の守りたい自然」~自然環境データブック~の文章 槇山(標高483m)の頂上から白砂青松の続 槇山のある半島の先端部 舞鶴湾口とそれを挟み対岸になる大丹生半島が見える 反対の平地からは舞鶴市街、舞鶴湾中心部から続く、左に湾口に至る水道がみえる。ここを砲台で押さえると、舞鶴の東港、西港の分岐点なので軍事的要塞と日露戦争に備えた砲台基地だったことが良く分かる ミカン舞鶴湾の要衝に臨み、明治時代からの砲台のある槇山砲台の山道を転がっている落石で車の底を擦りながら降りてきた。登山口近くに来ると鈴なりの蜜柑のついた樹が生えている シロバナタンポポ登山口道端 槇山に咲く花たち キブシ舞鶴市のふじもと様に名前を尋ねました。登山道の中腹 キブシ拡大数珠玉が連なったようにぶら下がる花ですカタバミ? 中腹に群生していました。舞鶴市のふじもと様に名前を尋ねました カタバミ?頂上の広地に咲いていました 頂上の道端 ゼンマイ頂上の道端 スミレ頂上の道端 フキノトウ頂上の道端 ? スイバ?登山口道端
http://takuan21a.blog35.fc2.com/blog-entry-1941.html
今度は車で山登りです。この山道、はっきり言って車で登るような場所ではありません。ちょっとはずせば崖下へ~と言うような細い道。すれ違いなんて出来るはずもありません。舗装はしてるんですけどね。でも、友達が頑張ってくれました。ホントありがとう運転にかなり集中してたみたいです。頂上に到着して見えてきたものは槙山砲台跡です。