神ノ島高砲台 関連ブログ・参考リンク
https://ameblo.jp/mango2-100822/entry-12728276699.html
神ノ島高砲台は、長崎湾口北側に位置する神ノ島に設置されました。 地図で場所を確認します。 砲台の履歴です。◆起工:明治31年(1898年)4月19日◆竣工:明治33年(1900年)3月31日(?)◆備砲:28㎝榴弾砲 8門(明治34年7月備砲完了)◆標高:78m(砲○位置)◆経過:・明治37-38年(1904‐05年) 日露戦争で動員下令・大正8年(1912年)要塞整理にて6門編成となる・大正12年(1916年)要塞再整理要領にて4門編成となる・昭和11年(1925年)砲座2、砲側庫2を除籍、4門砲台となる
http://tanago.dreamlog.jp/archives/7620796.html
『コンクリートで塞がれた壕に、再び光が差す日はやってくるのか・・・。』江戸時代より長崎港周辺は、四郎ケ島、伊王島、神ノ島に佐賀藩が当時最先端の台場を築くなど、国防の要となっていました。また、明治期になってからは、1899(明治32)年に佐世保要塞砲兵連隊の一個大隊が長崎に配置され、翌年、長崎要塞司令部が設置されました。長崎要塞は、長崎港及び港内の造船施設などの防衛のために建設されたもので、3ヶ所の砲台によって構成されていました。3ヶ所の砲台とは、神ノ島低砲台、神ノ島高砲台、そして蔭ノ尾島砲台です。
https://ameblo.jp/yoshidanoharuo/entry-12740588113.html
長崎要塞神ノ島高砲台長崎県長崎市神ノ島町1-273(神ノ島公園) ②神ノ島高砲台起工:明治31年4月19日竣工:明治33年3月31日備砲:28センチ榴弾砲×8門(4座)標高:28榴(28H)→78メートル目的:前方一帯の海面を射撃し、湾内に侵入せんとする敵艦を防過するに在り廃止:大正8年要塞整理にて6門編成、大正12年に4門編成と定める→昭和11年に4門除籍4門体制になった
http://oobakame.blog.fc2.com/blog-entry-97.html
いま神ノ島公園のある土地には明治31(1898)年に築かれた神ノ島高砲台というものがありました28センチ榴弾砲8門と 9センチ加農砲4門が置かれていた砦で掩蔽部はその遺構というわけ
https://forbiddenkyushu.wordpress.com/2010/08/15/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E8%A6%81%E5%A1%9E%EF%BC%9A%E7%A5%9E%E3%83%8E%E5%B3%B6%E7%A0%B2%E5%8F%B0%E8%B7%A1-%E5%85%AC%E5%9C%92%E5%86%85%E3%81%AB%E6%AE%8B%E3%82%8B%E7%A0%B2%E5%8F%B0%E8%B7%A1%E9%81%BA%E6%A7%8B/
ココは神ノ島公園の展望台です。公園内には明治時代に築かれた長崎要塞、神ノ島砲台跡の遺構が残されています。神ノ島砲台は1898年に着工、翌年1900年に竣工した、長崎港を防備するための砲台です。神ノ島砲台は高砲台、低砲台とあるようですが、この遺構がどちらなのかは不明です。着工年、竣工年は高砲台と低砲台を合わせて書きました。正しくは1989年に低砲台、1900年に高砲台が竣工しています。